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「まさか、こてつ?」安倍元首相銃撃の山上容疑者の同級生が語る”まっとうな”中学時代

 

山上徹也容疑者


 安倍晋三元首相が演説中に銃で撃たれた事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された山上徹也容疑者(41)。いったいどんな人物なのか。AERAdot.は山上容疑者の小学、中学生時代の同級生に話を聞くことができた。当時はまじめで、部活も一生懸命に取り組んでいたという。

 

 山上容疑者は、地元の公立の小中学校に通っていた。運動が好きで、小学校時代は友だちとよく外遊びをするどこにでもいる子どもだったそうだ。中学ではバスケットボール部に入った。

 3年間部活でともに汗を流した同級生の男性(42)は、事件直後に中学時代の友人からLINEが入って気づいた。

「あれ、こてつかな」

 ニュース映像で取り押さえられている男は、昔より痩せた印象だったが、確かに同級生の「こてつ」だった。中学時代の山上容疑者のニックネームだ。

 

 真面目で、努力家だった。当時、人気漫画の影響でバスケ部員の人数は多く、補欠を含めて、ユニホームを獲得できるのは13人。それを獲得するために競争は激しかった。山上容疑者は、そんな状況でユニホーム「9」を勝ち取ったという。

 

「レギュラーだけど、スタメンでは補欠だったと思います。交代要員ですね。彼はシュートもディフェンスもできるし、走るのも速い。体力もそれなりにあって、3拍子そろっていた」

 

当時、バスケ部は他校よりも弱かったが、山上容疑者は走り込みをしたり、腕立て伏せや腹筋など、きつい練習もこなしていたという。

「誰とでも仲良くするタイプで、人の悪口も言わないような性格でした」

 

 中学卒業後は、県で一、二を争う進学校へ。その後、男性は山上容疑者と疎遠となったことで経緯はわからないが、いつの間にか、小中学生時代に住んでいた家も土地も売り払われていたという。

 

「ほんまにまじめやったのに、なぜ、こんなことをしたのかわからんです。同級生はみんな信じられないと言っている。本人にしかわからないと思う」

 

AERA dot.編集部 上田耕司)

 

 

 

 

 

精神科医・和田秀樹「複雑性PTSDなんかではない」眞子さまの本当の病名は【2021下半期BEST5】

2021年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。社会部門の第2位は――。(初公開日:2021年10月7日)

 

宮内庁は2021年10月1日、眞子さま(29)と小室圭さん(29)が同月26日に結婚されると正式発表するとともに、眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されたことを明らかにした。

 

精神科医和田秀樹さんは「会見に同席した精神科医は『結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる』と発言しましたが、これは国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバーに脅威を与えるおそれがある」という。その理由とは――。※内容は掲載当時のものです。

精神科医が腰を抜かすほど驚いた「眞子さま複雑性PTSD

宮内庁は1日、秋篠宮家の長女・眞子さま(29)が「複雑性心的外傷後ストレス障害PTSD)」と診断されたことを明らかにした。

「秋季皇霊祭」のため、半蔵門から皇居に入られる秋篠宮家の長女眞子さま

「秋季皇霊祭」のため、半蔵門から皇居に入られる秋篠宮家の長女眞子さま=2021年9月23日(写真=毎日新聞社/アフロ)

 

そのため、この病名がネット上で一気にトピックワードとなった。

この病名については、秋篠宮家の側近部局トップの加地隆治皇嗣職大夫が眞子さまの病状について切り出し、精神科医で、公益財団法人「こころのバリアフリー研究会」理事長の秋山剛氏が会見に同席して「長期にわたり誹謗ひぼう中傷を体験された結果、複雑性PTSDと診断される状態になっておられる」と述べた。

 

1991~94年にアメリカに留学して以来、この疾患に向き合ってきた私は、宮内庁のその後の説明を聞くにつけて、腰を抜かすほど驚いてしまった。

 

なぜなら、複雑性PTSDとは虐待のような悲惨な体験を長期間受け続けた人に生じる心の病であり、治療も大変困難なものとされているからだ。

 

1970年代、ベトナム戦争で兵士が受けた心理的後遺症やレイプトラウマの研究が進み、1980年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第3版(DSM-3)に「PTSD」という病名が採用された。

その後もトラウマ研究が進み、児童虐待のような長期反復型のトラウマ体験の場合は、もっと深刻な病状が生じることがわかってきた。

 

当時のアメリカにおけるトラウマ研究の第一人者であるジュディス・ハーマン(ハーバード大学准教授)は、その主著と言える『心的外傷と回復』(みすず書房)において、複雑性PTSDという病名を提起した。

複雑性PTSDの症状…自傷行為、性的逸脱、解離症状、希望喪失

ハーマンが提起し、94年に発表されたアメリカ精神医学会の診断基準第4版(DSM-4)の「複雑性PTSD」に加えることが検討された症状には以下のようなものが列挙された。

 

1:感情制御の変化(自傷行為や性的逸脱など)
2:意識変化(解離症状など)
3:自己の感覚の変化(恥の意識など)
4:加害者への感覚の変化(復讐ふくしゅうへの没頭だけでなく、加害者を理想化することもある)
5:他者との関係の変化(孤立・ひきこもりなど)
6:意味体系の変化(希望喪失など)

 

実際、私の留学中も虐待の被害者の患者をかなりの数で診たが、この指摘には心当たりがある。ここで注目したいのは、2の項目にある「解離」という症状だ。

 

解離は、自分の忌まわしい記憶をふだんとは別の意識状態に置くことで生じると考えられている。要するにトラウマ的な出来事を覚えている意識状態と、普段の意識状態は、別の意識状態になっている。

 

そのため、その人は、トラウマ的出来事を覚えている意識状態になったときのことは覚えていないし、その意識状態は、普段の意識状態と連続性をもたない。

 

解離性健忘の場合、その解離状態の時の言動を覚えておらず、かなりの暴言を吐いても、犯罪的な行為(万引きや暴行など)や性的逸脱を行っても、それを覚えていない。

 

別の意識状態になったときにアイデンティティ(自分が子どもか大人かとか、ふだんの名前や役職など)まで変わってしまう状態は多重人格と呼ばれてきたが、DSM-4では解離性同一性(アイデンティティ)障害と呼ばれるようになった。

 

複雑性PTSDとは、悪口レベルの外傷的体験ではない」

またこの複雑性PTSDの場合、感情も対人関係も不安定なので、婚姻生活や社会生活に支障をきたし、定職にもつけない境界性パーソナリティー障害と呼ばれる診断を受けることも多い。

 

ただ、ハーマンの過去の記憶を思い出させて、それをぶちまけさせるような治療方針がかえって患者の具合を悪くすることが多いことが明らかになったことで、彼女のアメリカ精神医学会での影響力はかなり弱まった。ハーバード大学でも教授に昇格していない。

 

そのせいか、2013年改訂のアメリカ精神医学会の診断基準の第5版(DSM-5)では、複雑性PTSDの病名は採用されなかった。

 

ところが、WHOが作るもう一つの国際的な診断基準の最新版(ICD-11)が2018年に公表された際に複雑性PTSDが採用されることになった。これまでの歴史をみるとアメリカ精神医学会の基準に追随することが多かった中で画期的なことである。

 

おそらくは、世界的に深刻化する児童虐待だけでなく、人権を弾圧するような政府や軍事介入などで生じる心の後遺症を無視することができないと考えたのだろう。

 

実際、この診断基準で挙げられている逃れることが困難もしくは不可能な状況で、長期間・反復的に、著しい脅威や恐怖をもたらす出来事の例としては、「反復的な小児期の性的虐待・身体的虐待」のほか、「拷問」「奴隷」「集団虐殺」が挙げられている。けっして悪口レベルの外傷的体験などではない。

 

これに対して秋山医師は、「複雑性PTSDは言葉の暴力、インターネット上の攻撃、いじめ、ハラスメントでも起こる」と拡大解釈をしたわけだ。

実際、インターネット上の誹謗中傷で自殺する人もいるのだから、私もその可能性を否定するつもりはない。

「温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに」という発言の問題点

むしろ今回、国民に誤解を与え、現実に複雑性PTSDの症状に苦しむ虐待サバイバー(※)に脅威を与えるおそれがあるのは、秋山医師が発した「(小室圭さんとの)結婚について周囲から温かい見守りがあれば、健康の回復が速やかに進むとみられる」という言葉だ。

 

 

虐待を受けた子供たちは大人になり複雑性PTSDに苦しむわけだが、親元を離れ、虐待を受けなくなったり、多少周囲が温かくしてくれたりしたところで、そう簡単に治るものではない。

 

つい最近も3歳児が母親の同居人の虐待で死亡した事件があったが、それに関するニュースの多くは、初動で行政がしっかり対応していたら死ななくてすんだという類のものだった。

 

たしかにそういう面もあるかもしれない。しかし、もっと重要なのは子供の今後の人生だ。「運よく生き残ったから、よかった」で済む問題ではない。生き残った子供たちは下手をすると生涯にわたる複雑性PTSDに苦しむのである。

 

眞子さまはおそらく適応障害なのではないか」

人格変化のために周囲の人が犠牲になることさえある。古くは永山則夫事件、あるいは大阪・池田小事件の宅間死刑囚、そして山口県光市の母子殺しの少年など、子供時代などに虐待を受けた人物が起こす重大事件は枚挙に暇がない。

 

銃社会アメリカでは、虐待を受けた子供が将来重大犯罪を起こすことが多いことも、虐待を受けた子供を親元に返さない大きな理由となっている。

 

眞子さまの場合、もし、環境が変わり周囲の批判がなくなった結果、秋山医師が断言したように「健康の回復が速やかに進むとみられる」ならば、それは複雑性PTSDなどという心の重病でない。

 

もちろん、私は直接診察したわけではないので100%そうだと言い切れないが、眞子さまに関してはおそらく適応障害[この疾患の詳細は、拙著『適応障害の真実』(宝島社新書)を参照いただきたい]にあたるのではないかと思う。

 

ただ、日本の場合、精神科の主任教授が臨床軽視・研究重視の大学教授たちの多数決で決まるため、私のようなカウンセリングや精神療法を専門とする大学医学部は全国どこを探してもない。そのため、複雑性PTSDであれ、適応障害であれ、よい治療者をみつけることはかなり困難だ。

 

そういう点で、いい治療者を見つけるために眞子さまがご結婚されアメリカに行かれるのはいいことだ。

「秋季皇霊祭」のため、半蔵門から皇居に入られる秋篠宮家の長女眞子さま

写真=毎日新聞社/アフロ

 

「秋季皇霊祭」のため、半蔵門から皇居に入られる秋篠宮家の長女眞子さま=2021年9月23日

 

複雑性PTSDについては予防の必要性は極めて高い。私は、アメリカのように、虐待が見つかったら原則的に親元に返さないできちんとしたチャイルドケアを受けさせるべきだと考える。そうでないと一生不幸を抱えてしまうことになりかねない。

 

その一方、虐待をしてしまった親に対するカウンセリングも重要だ。アメリカではこれが盛んに行われ、カウンセラーが認めれば、子供はその親元に返される。

 

日本の場合、残念ながら医学の世界、精神医学の世界がカウンセリングを軽視する傾向があり、見通しは暗いと言わざるを得ない。私の留学先のような「大学でない精神科医の養成機関」をかなりの数作らなければならないと思われる。

複雑性PTSDの患者は数十万人に達する可能性がある」

実は、複雑性PTSDの患者はかなり多いと予想できる。というのは、虐待の数が想像以上に多いからだ。

2021年8月27日に、令和2(2020)年度の児童相談所における虐待相談対応件数が発表されたが、ついに20万件を超えた(心理的虐待:全体の59.2%、身体的虐待:24.4%、ネグレクト:15.3%、性的虐待:1.1%)。

 

虐待された子供が新規で毎年20万人(実際はもっと多い可能性が高い)ということは、日本中に虐待経験者は全体で数百万人単位いるということになる。仮にその1割が複雑性PTSDになったとしても数十万人だ。これはかなり少なく見積もった数と言えるものだ。これから複雑性PTSDを増やさないだけでなく、現在複雑性PTSDの人たちを救うことが急務だ。

 

今回の報道でもっとも危惧するのは、複雑性PTSDになった人は周囲の人がやさしく見守れば、そのうち症状が緩和する軽い病気であるかのような誤解が広まることだ。

 

あるいは、芸能人や政治家がバッシング逃れのために知り合いの精神科医複雑性PTSDの診断書を書いてもらうケースが増え、この疾患に直面している人の苦しみをどこか軽んじるような風潮が世間に広まることもあり得る。

 

複雑性PTSDという病名が世間に知られることは望ましいことだが、本当の実態が知られないと逆にいちばん迷惑をこうむるのは複雑性PTSDの患者であることも知ってほしい。

 

 

「コロナにかかるとペニスが小さくなる」報告 血流悪化が原因か

そんなこともあるのか…(イメージ)

そんなこともあるのか…(イメージ)

 

 まさに男性陣が縮み上がってしまうような報告が登場した。これまでも新型コロナウイルス感染者が後遺症に悩む例は報告されてきたが、『週刊ポスト』編集部員のA(43)は、このように語る。

「ここ1か月ほど“皮”を被っていることが多いんです。『寒いから縮こまっちゃったのかな』と思っていたのですが……」

 

 昨年10月に新型コロナに感染したAは、入院中に40度近い発熱が1週間続き、血中酸素濃度の低下で酸素投与を受けるほどの苦しみを味わった。退院後は味覚・嗅覚障害などの後遺症は出なかったが、体の一部に残念な変化があったという。

 

「どうにもペニスのサイズが小さくなった気がするんです。まさかこれもコロナ後遺症かもしれないなんて、残酷すぎますよ」

 

 1月14日、米誌『ニューズウィーク』(ウェブ版)が男性を震撼させる記事をアップした。タイトルは『コロナ感染で男性器の「サイズが縮小」との報告が相次ぐ』。

 

 記事の元になったのは、英医学誌の権威といわれる『ランセット』に掲載されたひとつの論文だった。この論文は、コロナ感染者のうち後遺症の可能性がある3762人の患者を調査したもので、「疲労感」「抜け毛」など200以上の後遺症のなかに「精巣または陰茎のサイズの縮小」が認められたというのだ。

ニューズウィーク』では通常時のサイズが3.8cmも短くなったという男性の証言も紹介されている。

くぼたクリニック松戸五香の窪田徹矢院長が解説する。

 

コロナウイルスは全身の血管を損傷させることが分かっており、これが陰茎の縮小の原因になっている可能性があります。陰茎海綿体は毛細血管の集合体で、血管が損傷して血流が悪くなると膨張率が低下し、サイズそのものも小さくなる。

海綿体の体積が減ってしまうのです」

 

 昨年5月に韓国の学術誌『ワールド・ジャーナル・オブ・メンズヘルス』に掲載された論文では、コロナ感染者のペニスの血管内部に「スパイクタンパク質」というウイルスの残骸が発見されたと報告された。

これもペニスの血流悪化の要因と考えられている。

サイズは元に戻らない

 恐ろしいことに、一度小さくなったペニスは元に戻らないという。窪田院長が語る。

「ウイルスの作用で陰茎内の毛細血管の細胞が死滅してしまうと、現状、それを復活させることは難しい。一生サイズが元に戻らない可能性も十分考えられます」

 

冒頭のAは、この話を聞いて絶句。この世の終わりのような表情でうなだれるばかりだった。医療経済ジャーナリストの室井一辰氏が語る。

 

「コロナ感染後の体の不調は様々で、とくに陰茎の縮小といった事例はサンプルが集まりにくい。精子量の減少などの報告もあり、後遺症の全貌が明らかになるのはまだ先でしょう。

 

流行中のオミクロン株は重症化の可能性が低いとされていますが、ウイルスが体内に入る以上、どんな後遺症が出るか分かりません」

 感染対策を徹底したい。

 

週刊ポスト2022年2月4日号

 

 

衣料品に表示される「洗濯記号」の読み方 基本を覚えれば意外と簡単

 身の回りのさまざまな製品には、品質や性能などに関する「表示」が数多くある。たとえば、2016年の繊維製品品質表示規程の改正により、国際規格となった洗濯表示。「タンブル乾燥」や「酸素系漂白剤」など、新しい洗濯記号が追加され、かつ温度設定や干し方などの指定も細かくなり、従来の22種類から41種類に増えた。

 消費者庁は、「表示が変わることで、一般消費者の利便性の向上が期待できる」(2016年当時)というが、5年経ったいまも、消費者からは「まだ覚えられない」「まるで暗号」との声がある。

 とはいえ、落ち着いて見てみると、基本の記号を覚え、強弱、温度の高低を組み合わせれば解読は至って簡単だ。数字による温度表記は、これまでは『40℃がよい』という推奨表示だったのが、『40℃以下なら損傷を起こさない』という「上限表示に変更」(消費者庁)がなされているので注意を。海外サイトでのショッピングも増える中、覚えておいて損はない。

【基本の記号】
 洗濯記号の基本は5つの基本記号に、数字や付加記号を組み合わせて洗濯方法を表示する。記載する順番は、家庭洗濯→漂白→乾燥→アイロン→クリーニングとなっている。

【強さ】

「強さ」を表す洗濯記号
「強さ」を表す洗濯記号

 

 洗濯の強さに関する表示は、基本記号の下に付加する、洗濯機で洗う際の強さを表す記号。線の数が増えるほど弱く洗う指示となる。

【温度】

「湿度」を表す洗濯記号
「湿度」を表す洗濯記号

 

 温度に関する表示は、点の数により、タンブル乾燥(ヒーターを弱→強へ)やアイロンの温度(低温→高温へ)を示す。数が増えるほど、温度が高くなる。

【禁止】

「禁止」を表す洗濯記号
「禁止」を表す洗濯記号

 

 禁止事項に関する表示は、家庭での洗濯不可、漂白剤の使用不可、アイロン不可などの禁止事項を示す。

 

 

この洗濯機号の意味、わかりますか?

この洗濯記号の意味、わかりますか?
この洗濯記号の意味、わかりますか?

 以下、具体的な洗濯記号を7つピックアップした。その意味が分かるだろうか。答えと解説を紹介しよう。

【1】家庭での洗濯機洗いで、温度の上限は40℃までということを表している。

【2】白い△は、塩素系漂白剤、酸素系漂白剤のどちらも使えるという印。斜線が2本加わると、色柄ものにも使える酸素系漂白剤のみが使用できるという意味に。

【3】タンブル乾燥(ドラム式洗濯乾燥機等、洗濯物を回転させながら温風で乾燥するもの)禁止という意味。

【4】脱水した後、平らな場所に“平干し”をすることを表している。

【5】アイロンを高温(上限200℃まで)でかける。ちなみに、点が1つなら低温(上限110℃まで)、点が2つなら中温(上限150℃まで)となる。

【6】ドライクリーニングの指示(Pは、パークロロエチレンなどの溶剤の頭文字。頭文字がFの場合は、石油系溶剤を使用するという意味)。

【7】ウエットクリーニングができる(プロの水洗いと仕上げによる洗濯)という表示。

 

 

干し方記号はちょっと違う 干し方記号はちょっと違う

 

 

※女性セブン2022年1月1日号

 

第3回〈小室夫妻 愛の軌跡〉28枚の「小室文書」公表から結婚、そしてNYへ

ファーストクラスに搭乗。カジュアルな服装の小室圭さんと、後ろに続く眞子さん

ファーストクラスに搭乗。カジュアルな服装の小室圭さんと、後ろに続く眞子さん

 

 2021年10月、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんが結婚会見を行い、正式にご結婚されました。交際が始まってから約9年。

 

その道のりは険しく、決して平坦なものではありませんでした。さまざまな困難を乗り越えながら、おふたりの「ゴールイン」が決定的になった2021年に入ってからの動きを振り返ります──。【

 

全3回の第3回。第2回の〈金銭トラブル発覚から秋篠宮さまの心変わりまで〉から続く】

2021年4月 小室圭さん、28枚の「小室文書」を公表

小室さんが公表した文書ページ1

小室さんが公表した文書ページ1

 

 圭さんは4月8日、母・佳代さんと元婚約者A氏との金銭問題をめぐる交渉の経緯を文書で発表した。概要4ページ、本文24ページ(注含む)の全28ページにわたる通称「小室文書」には、金銭トラブルの“解決金”を払わなかった真意についても記されていた。

 

 同文書によると、圭さんは「きちんと話し合って、双方の認識の食い違いをなくした上で解決することが重要」と考えていたようだ。しかし、世間から大きな批判を浴びて、圭さんは「支払い」に関する方針を変えることになる。

 

 文書発表の翌9日には、秋篠宮家の最側近である皇嗣職大夫が、A氏に解決金を払わないという小室家の基本方針は「眞子さまのご意向が大きかった」とも会見で明かしている。

2021年4月 小室圭さん、解決金を支払う意向を示す

帰宅する佳代さん(写真は5月)

帰宅する佳代さん(2021年5月撮影)

 

 小室文書の発表から4日後の4月12日、圭さんは代理人弁護士を通じて「解決金を支払う意向がある」と伝えた。

 

しかし、その後に発売された『女性セブン』(2021年6月3日号)では、佳代さんの元婚約者A氏の代理人が〈小室圭さんの代理人弁護士から『解決金を支払うことを提案する』というメールが届いて以降、ずっと音沙汰なしです。

 

まったく連絡はなく、何も進みません〉と証言。方針転換から1か月以上経っても、事態は何も進展していなかったようだ。

 

 また、A氏が4月27日に発表したコメントには《佳代さんは体調が悪く、長期間の入院中と伺っております》と記されていたが、そのおよそ1週間後の夕方、しっかりとした足取りで自宅マンションに入る佳代さんの姿を『女性セブン』はキャッチしている。

いち早く問題を解決したいはずが、小室家サイドの不可解な動きが続いた。

2021年5月 小室圭さん、フォーダム大学ロースクール卒業

フォーダム大学では教授とランチも

フォーダム大学では教授とランチも

 

 圭さんは5月23日、留学していた米フォーダム大学ロースクールを卒業。新型コロナウィルスの陰性証明を取得するなどして大勢の学生が卒業式に参加したが、圭さんは欠席した。

卒業後は7月に控えるニューヨーク州の弁護士試験に向け、猛勉強の日々が始まった。

 

2021年9月 小室圭さん、眞子さまの年内の結婚を発表

 NHKが9月1日、圭さんがニューヨーク州の法律事務所に就職する見通しが立ったことから、眞子さんと年内にも結婚する方向で調整中だと報じた。

 

女性皇族の婚約・結婚に伴う儀式はすべて行われず、皇室を離れる際に支給される一時金も受け取らない意向を示しているとのこと。加藤勝信官房長官(当時)は、同日に行われた会見で「報道は承知しているが、私自身はそうした連絡を受けていない。政府としては静かに見守っていきたい」と述べた。

2021年9月 小室圭さんのロン毛をテレビ局がとらえる

NYからロン毛で帰国した小室圭氏

NYからロン毛で帰国した小室圭氏

 

  圭さんが帰国直前にテレビ局の直撃取材を受けた際、そして帰国した際の映像で見せた髪型が話題になった。

 

おでこ全開、長髪をポニーテールにした“ちょんまげ”スタイルに対して、『NEWSポストセブン』(2021年9月29日配信)の記事では宮内庁関係者が〈“身だしなみを整える”という意識の欠如に見える〉と指摘する一方で、一部では〈男前になった、格好良い〉など称賛する声も上がったことを報じている。

圭さんの髪型をめぐって賛否両論が巻き起こり、彼に対する世間の注目度の高さが如実に表れた。

2021年9月 小室圭さん、アメリカから帰国

 圭さんが9月27日、3年ぶりにアメリカから帰国した。新型コロナウィルス感染拡大防止のための2週間の隔離期間の中で、世間を騒がせたロン毛もばっさり切り落とし、襟足を短く切りそろえた髪型に。そして10月18日、約3年ぶりに眞子さまとの再会を果たした。

 

圭さんは約3時間半にわたり赤坂御用地内に滞在し、眞子さま秋篠宮ご夫妻の4人で会談する時間もあった。秋篠宮ご夫妻は公務の準備のためすぐに私邸に戻られたが、『女性セブン』(2021年11月4日号)で皇室記者は〈秋篠宮ご夫妻は、とてもお疲れのように見えました〉と明かしている。

また〈紀子さまはいつものような笑顔はなく、うつむき加減で泣きはらしたような目をされていた。明らかに落胆の色が見て取れました。

 

いつもなら車のスピードを落とし、車窓を開け、軽く会釈をされるご夫妻ですが、その日は車のスピードも格段に速く、報道陣の前をあっという間に通り過ぎていきました〉とも同誌は伝えている。

2021年10月 宮内庁、おふたりの結婚を公表

注目された小室圭氏・眞子さん会見と小保方氏の共通点は(写真/JMPA)

注目された小室圭氏・眞子さん会見と小保方氏の共通点は(写真/JMPA)

 

 宮内庁は10月1日、小室さんと眞子さまが26日に結婚することを発表した。発表通り26日午前、晴れておふたりの結婚が成立し、午後には夫婦そろっての記者会見が開かれた。

当初、会見では質疑応答が予定されていたが、前日夜になって会見方式が急きょ変更に。

冒頭で眞子さまが結婚に際してのお気持ちを述べるのみで、質疑応答は行われないことになった。

 

 会見で眞子さまは、「私にとって圭さんは、かけがえのない存在です。そして、私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」と語った。

 

圭さんは、「私は眞子さんを愛しております。

一度きりの人生を、愛する人とともに過ごしたいと思っています」と述べた。さらに圭さんは、佳代さんと元婚約者A氏との間の金銭問題についても「解決に向けて、私ができる限り対応したいと思います。

解決金を受け取っていただきたいという気持ちは変わっていません」と言及。

 

 眞子さまの結婚に関して、一般の結納にあたる「納采の儀」など、皇室慣例の儀式は行われなかった。皇籍離脱に伴う一時金も辞退し、前例のないご結婚となった。

2021年11月 日本から出国、NYで生活開始

右をちらり

NYでの新婚生活を送る小室夫妻

 

 11月12日夜に圭さんは、佳代さんの元婚約者A氏と面会。解決金を受け取ることで「金銭トラブル」の解決に合意し、「最終的に解決したことを相互に確認した」という。

 

2017年末に発覚した金銭トラブルにようやく決着をつけ、11月14日、眞子さまと圭さんはアメリカ・ニューヨークに渡ったのだった──。

 

第2回〈小室夫妻 愛の軌跡〉金銭トラブル発覚から「お気持ち」文書まで

小室さんが留学して以降、佳代さんの姿は見られていない

小室さんが留学して以降、佳代さんの姿は見られていない

 

 2021年10月、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんが結婚会見を行い、正式にご結婚されました。交際が始まってから約9年。その道のりは険しく、決して平坦なものではありませんでした。今回は結婚までの経緯を改めて振り返り、おふたりが結ばれるまでの愛の軌跡を辿りたいと思います。

 

今回は2017年9月の婚約内定会見後、同年12月の小室家の金銭トラブル発覚、そして2020年11月の眞子さまの「お気持ち文書」公表までの経緯を振り返ります。 【全3回の第2回。第1回の〈運命の出会いから婚約内定会見まで〉から続く】

2017年12月 小室家の金銭トラブルが発覚

秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル〉──そんな衝撃的な見出しが『週刊女性』(2017年12月26日号)に躍った。

 

翌2018年3月4日に一般の結納にあたる納采の儀を、同年11月に結婚式が予定されていた眞子さまとって、晴天の霹靂(へきれき)だったに違いない。義母となる小室佳代さんが、週刊誌報道を通じ、かつての婚約者A氏から「金銭トラブル」を突きつけられたのだ。

 

 前掲の記事で佳代さんの元婚約者A氏は、知人を通し、「数年前に小室圭さんのお母さんに貸した400万円以上がいまだに未返済で、返す意思もまったくない」と訴えた。元婚約者A氏が「貸した」と主張するお金とは、圭さんが国際基督教大学ICU)に入学する際の入学金と初年度年間授業料のほか、大学3年次の米国留学費用、小室家の日常の生活

費など計400万円あまりだという。

 

 さらに同記事によると、元婚約者A氏が佳代さんとの婚約解消に際し、返金を申し出たところ、当初は返す意思を見せた佳代さんだが、後に圭さんと連れ立って元婚約者A氏の自宅を訪れ、文書で「お金は贈与されたもので、返す理由がない」と伝えたとしている。

圭さんも「贈与だと認識している」と発言したという。

 

 その後4年近くにわたり世間を賑わせた小室家の「金銭トラブル」報道の始まりである。

2018年2月 宮内庁が「結婚に向けた行事」延期を発表

通院の情報もある小室佳代さん

借金トラブルが報じられた小室佳代さん(撮影/JMPA)

 

 宮内庁は2018年2月6日に緊急会見し、同年に予定されていた眞子さまと圭さんの結婚に関する一連の儀式を、2020年に延期することを発表した。準備不足を理由に、2019年に控えていた天皇陛下(現上皇陛下)の退位関連の儀式が終わってから行う、とされた。

 

 宮内庁は、小室家の金銭トラブルに関する一連の週刊誌報道が延期の理由ではないと説明し、眞子さまも延期に際してのお気持ちを記した文書でこう綴られた。

 

〈今、私たちは、結婚という人生の節目をより良い形で迎えたいと考えております。そして、そのために二人で結婚についてより深く具体的に考えるとともに、結婚までの、そして結婚後の準備に充分な時間をかけて、できるところまで深めて行きたいと思っております。

 

本来であれば婚約内定の発表をするまでにその次元に到達していることが望ましかったとは思いますが、それが叶わなかったのは私たちの未熟さゆえであると反省するばかりです〉

 

 しかし、新聞やテレビ、雑誌などのメディア報道はすでに小室家の「金銭トラブル」一色と化していた。『週刊女性』(2018年2月27日号)は、皇族の婚約内定後にスキャンダルが発覚するという異例の事態に関して、宮内庁OBによる解説をこう伝えている。

 

〈皇室に迎える方の場合は、皇室会議にもかけるのでさまざまな調査をしますが、皇族から一般人になられる方の嫁ぎ先は、最低限の調査だけにとどまります。

 

 今回も宮内庁側は、小室家の内情をほとんど把握しておらず、秋篠宮家の方々も小室家が抱える金銭トラブルを知らなかったと思われます〉

 事態を受けた眞子さまの心中は察するに余りある。前掲記事では秋篠宮家関係者の言葉として、当時の眞子さまの様子をこう伝えた。

 

〈正式婚約の前にこんな重大な事実を話さなかった圭さんに対して、眞子さまは“なぜ話してくれなかったの”と圭さんを怒るとともに、そうとうなショックを受けておられました。

 

 家庭内は“この件をなぜ知らなかったのか”という雰囲気が漂い、ピリピリしています。眞子さまは、圭さんの抱えるトラブルを知らなかったことに責任を感じてしまい、自室にこもりがちになり、食欲も減退されてしまいました〉

 

 

2018年11月 秋篠宮さま「多くの人が納得し、喜んでくれる状況にならなければ」

米国での司法試験に向けて旅立つ小室さん(時事通信フォト)

米国での司法試験に向けて旅立つ小室さん(時事通信フォト)

 

 結婚延期となった半年後の2018年8月、圭さんは弁護士資格取得に向けて米国留学へと旅立った。

米国滞在中の圭さんの様子はその後もテレビや雑誌などで報じられていたが、金銭トラブルについては進展が見られず、多くの国民が眞子さまと圭さんの結婚問題を案じる状態が続いていた。

 

 そうしたなか、秋篠宮さまは同年11月の誕生日に先立つ会見で、長女・眞子さまと圭さんの結婚について苦しい胸の内をこう明かした。

 

「これは娘と小室さんのことではありますけれども、私は今でもその2人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。

 

 まだ婚約前ですので、人のうちのことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはり今お話ししたようなそれ相応の対応というのは大事ですし、それからこれは2人にも私は伝えましたが、やはり今いろんなところで話題になっていること、これについて、きちんと整理をして、問題をクリアするということになるかもしれません、そして、それとともに、やっぱり多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません」

 

 父である秋篠宮さまの切実な訴えに、娘婿となる圭さんがどう応えるのか──。世間の耳目は、圭さんの動向に集まることになった。

2019年1月 小室圭さん「解決済み」文書公表

 秋篠宮さまの意向が語られた誕生日会見から約2か月後の2019年1月22日、圭さんは母と元婚約者A氏の「金銭トラブル」について、自ら事情説明を行う文書を発表した。

 

 これまで報じられていた経緯についてまとめた後、〈多くの報道において借金トラブルが残っているとされていますが、このような経緯ですから母も私も元婚約者の方から支援については解決済みの事柄であると理解してまいりました。

 

そのため、平成29年12月から元婚約者の方のコメントだとされるものが連日報道される事態となり、私も母もたいへん困惑いたしました。元婚約者の方のご意向を測りかねたからです〉と綴っている。

 

 文書公表を受け、元婚約者A氏は朝日新聞の取材に答え「トラブルは解決していない」と反論。〈今後は元婚約者の方からご理解を得ることができるよう努めたい〉と文書に書いた圭さんとは真っ向から対立する格好となり、金銭トラブルとされる問題は解決の糸口が見えないままとなった。

2020年11月 眞子さま「お気持ち文書」に、秋篠宮さま「結婚を認める」

秋篠宮夫妻の公用車のボディに目が行ってしまう…(55歳の誕生日を前に記者会見をされたとき、時事通信フォト)

秋篠宮さま、55歳の誕生日を前に行われた記者会見で(時事通信フォト)

 

 圭さんが米ニューヨークに留学し、2年近くもこう着状態が続いた結婚延期問題に関し、2020年11月、眞子さまは「お気持ち」を文書で公表した。そこで示されたのは、結婚への変わらぬ意思だった。

〈私たち2人がこの結婚に関してどのように考えているのかが伝わらない状況が長く続き、心配されている方々もいらっしゃると思います。また、様々な理由からこの結婚について否定的に考えている方がいらっしゃることも承知しております。

 

しかし、私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です〉

 

 それから1週間ほど経って、父である秋篠宮さまは恒例の誕生日会見に臨んだ。眞子さまの結婚について、記者から「皇嗣職大夫が会見で、『秋篠宮両殿下がお二人のお気持ちを尊重された』と説明したが、どういうことか」と尋ねられると、こう答えた。

 

「それは結婚することを認めるということです。これは憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきものだというふうに考えています」

 

 一方、「多くの人がそのことを納得し、喜んでくれる状況にならなければ」結婚に関する儀式は行えないと自ら指摘していた点について尋ねられると、「長女の結婚について反対する人もいますし、賛成する人もいますし、全く関心の無い人もいるでしょう」「あくまで私の主観になりますけれども、感じとしては決して多くの人が納得し喜んでくれている状況ではないというふうに思っています」などと返した。

 

 延期期間とされた2020年も終わりが近づく中ではあったが、依然、眞子さまと圭さんの結婚には「世論」という壁が立ちはだかっていることが示された。

 

【第3回〈 28枚「小室文書」公表から結婚、そしてNYへ 〉(12月31日配信予定)に続く】

 

 

第1回〈小室夫妻 愛の軌跡〉運命の出会いから婚約内定会見まで

 

 2021年10月、秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんが結婚会見を行い、正式にご結婚されました。交際が始まってから約9年。

その道のりは険しく、決して平坦なものではありませんでした。今回は結婚までの経緯を改めて振り返り、おふたりが結ばれるまでの愛の軌跡を辿りたいと思います。

 

まずは2012年6月の出会いから、婚約内定会見までの経緯を振り返ります。【全3回の第1回】

2012年6月 眞子さまと小室圭さん「運命の出会い」

ICUにご入学された眞子さま

ICUにご入学された眞子さま

 

 学習院女子高等科を卒業した眞子さまは、2010年4月、AO入試国際基督教大学ICU教養学部にご入学された。一方、小室圭さんは都内のインターナショナルスクールを卒業後、同年9月にICUに入学。おふたりが出会ったのは2012年6月、同大学キャンパスでのことだった。出会いからわずか2か月後、2012年8月から眞子さまは約1年間の交換留学のために渡英するが、その頃には交際がスタートしていたという。

 

 当初、眞子さまの婚約をスクープしたNHKの報道(2017年5月)では、出会いの場を「5年ほど前、東京・渋谷区の飲食店で開かれた留学に関する意見交換会の席」としていたが、のちに眞子さまがこれを否定。

 

 婚約内定会見(2017年9月)で、眞子さまは圭さんとの馴れ初めについて「国際基督教大学が交換留学生のために教室で行った説明会でのことでした。そのとき私が座った席が、小室さんの座った席の後ろであったことがきっかけとなりました」と語っている。さらに圭さんも「2012年の交換留学に伴う大学構内での説明会でした」と続け、出会いは「教室」「大学構内」であることが強調された。

2013年12月 交際開始から1年で「プロポーズ」

2010年、「海の王子」だった頃の小室さん(時事通信フォト)

2010年、「海の王子」だった頃の小室さん(時事通信フォト)

 

「おつきあいをする人は結婚を考えられる人でありたい、という共通の認識がございましたので、結婚につきましては、当初より念頭にございました」

──婚約内定会見でそう語った眞子さま。交際を始めてすぐの2012年8月に眞子さまは英国へ、圭さんは米国へと留学し離れ離れになったが、その間もおふたりは連絡を取り合っていた。

 

 そして帰国後、交際開始から1年余りが過ぎたとき、圭さんは眞子さまにプロポーズ。婚約内定会見での圭さんが語ったところによると「帰国後もお互いの気持ちを確認し合いながら、プロポーズに至りました。

2013年の12月に、私から宮さまに『将来結婚しましょう』というように申し上げました。場所は都内で、食事のあと2人で歩いていた時であったと記憶しております」という流れだったようだ。

 

 そんなおふたりの交際とは、どのようなものだったのか。後に報じられたところでは、休日に美術館や映画館を訪れたり、レストランで食事するなど一般と変わらないデートだったというが、『女性セブン』(2021年2月18・25日号)によると、眞子さまは将来の義母である小室佳代さんとも親しくされていたという。

 

同記事は皇室記者の言葉として、〈小室家のある横浜で頻繁にデート〉〈眞子さまがわざわざ佳代さんがパート勤務をする洋菓子店にケーキを買いに行かれたこともあった〉などのエピソードを伝えている。

 

 大学キャンパスでもおふたりの関係は〈公然の秘密だった〉といい、〈「まーちゃん」「けーくん」と呼び合う仲で、キャンパスが暗くなってからもベンチに腰掛け、長い時間を過ごしていた様子もよく見られていた〉との証言が伝えられている(いずれも前掲記事より)。

皇族ではあるが、ごく普通の学生と変わらない青春を過ごされていたことがわかる。

2016年10月 デート現場がスクープされ交際発覚

 プロポーズから数か月後の2014年7月、ICUを卒業した圭さんはメガバンクに就職する。眞子さまは同年9月から1年間、再びイギリスに留学されたが、それまでの間には圭さんがたびたび秋篠宮邸を訪れ、眞子さまの部屋で過ごすこともあったという。

 

 密かに愛を育んでいたおふたりの交際が、広く国民の知るところとなったのは2016年10月。『週刊女性』(11月1日号)がデート現場をスクープし、電車内で体を寄せ合い談笑する写真とともに報じたことがきっかけだった。

 

〈「次は、マーちゃんの携帯も見せてよ」/男性が親しげに、女性の充電中のスマートフォンを覗き込むと、/「ブサイクだから、やだぁ〜」〉など、親しく会話するおふたりの電車内での様子を伝えている。

 

 当時は圭さんの素性が明らかになっておらず、同記事には、圭さんについて〈白の『アバクロ』のポロシャツに、ベージュのハーフパンツ。『トミーヒルフィガー』のバッグを持つガッチリ体形の目鼻立ちの濃いイケメンだ〉と書かれている。

 

 その頃は婚約中であることも公にはされておらず、同記事では〈眞子さまを知る関係者〉の話としてこんな“懸念”も示されていた。

 

眞子さまの恋人が、学習院出身者であれば、順当というか安心ですね。やはり皇族はお立場上、たまたま出会った人とのお付き合いはしにくいものです。

学習院出身者なら、お互いに小さいころから知っていますし、ご家庭のこともある程度わかりますからね〉

2017年5月 「眞子さま同級生とご婚約へ」NHK報道

 NHK眞子さまと圭さんの婚約をスクープしたのは、デート現場が週刊誌に報じられてから7か月後の2017年5月のことだった。出会いから5年、学生だったおふたりは25歳の社会人となり、眞子さまは東大・博物館の特任研究員、圭さんは法律事務所のパラリーガルとして勤務していた。

 

 当時、NHKは〈お相手の小室さんは、高校までインターナショナルスクールで過ごし、大学時代には、神奈川県の藤沢市観光協会が主催する、2010年度の「湘南江の島 海の王子」として各地で行われる観光キャンペーンなどで活躍〉と紹介。

以降、メディアの取材が圭さんの周辺にも殺到することになる。

 

 眞子さまの婚約報道を受け、日本全体に祝福ムードが広がった。前掲のNHKの報道によると、当時、〈女性皇族の婚約は、3年前、高円宮妃の久子さまの次女、典子さんが、島根県出雲大社神職千家国麿さんと婚約した時以来で、「内親王」では、黒田清子さん以来12年ぶり〉であったから、なおさらだろう。

2017年9月 婚約内定会見「宮さまは月のよう」「好きな言葉はLet it be」

2007年、婚約が内定し秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんが記者会見をされた(時事通信フォト)

2017年、婚約が内定し秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんが記者会見をされた(時事通信フォト)

 

 振り返れば、おふたりの結婚に向けての道のりは、婚約が報じられてから困難の連続だった。まず、NHKのスクープ後、急遽2017年7月に設定された婚約内定発表・会見は、同時期、九州北部を襲った豪雨災害により延期された。

 

 この時の経緯についてNHKは〈眞子さまは、小室さんとともに被災地の状況を案じ、発表の延期を望まれ〉〈天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻もそうした気持ちを尊重する考えを示され、発表の前日、婚約内定の発表や記者会見の延期が決まりました〉と報じている。

 

 同年9月3日、延期された婚約内定の発表と会見が行われた。かねて「結婚については娘たちの意思をできる限り尊重したい」と語られていた秋篠宮ご夫妻はもちろん、周囲は大きな喜びに包まれた。婚約内定会見では、こんなやり取りに注目が集まった。

 

 眞子さまが、「お互いをどのような存在と感じ、どんなところにひかれているか」との質問に「小室さんは、私を温かく励ましてくださる存在でございます。

 

最初にひかれたのは、太陽のような明るい笑顔であったと思います」と答えると、圭さんは「宮さまは私のことを月のように静かに見守って下さる存在でございます」と続けた。

 

 また、記者の質問が圭さん自身の性格や座右の銘、将来の夢や目標に及ぶと「一言で申しますと、単純ということになると思います。

 

どちらかといえば鈍い方かもしれません」「好きな言葉は『Let it be』でしょうか」「今後のことで思い描いていることはございますが、今は目の前の仕事と勉学にしっかりと取り組むことが重要であると考えております。

 

将来のことにつきましては、宮さまとご相談しながら考えてまいりたいと思います」などと答えていた。

【第2回〈 金銭トラブル発覚から「お気持ち文書」まで〉(12月30日配信予定)に続く】