いまなおベールに包まれた国である北朝鮮。
北朝鮮本土への入国はハードルが高いが、北朝鮮料理を楽しむことができるレストランは、世界各地に展開されており、人気を博している。
そんななか、北朝鮮本場の味を楽しむことができる平壌冷麺の専門店が日本にオープン。
店を切り盛りする女性は、脱北者だという。
本場の平壌冷麺を求めて遠方からの客も
店の前には“本場”の味を求める客たちが列をなしていた。
平日の夕方にもかかわらず、列が途絶えることはない。
そこでしか食べられない味を求めて、遠方からやってきたという客も少なくなかった。
「北朝鮮の味を楽める店が“絶滅”しかけていると言ってもいいなか、ここは本格的な北朝鮮料理が味わえる貴重なレストランです。
“未知の国、北朝鮮の料理に触れてみたい”、そんな思いを抱く人々が集まり、今春のオープン当初から店は混雑していますよ」(店の常連客)
東京湾岸道路・千葉街道沿いに店を構える韓国焼肉・平壌冷麺専門店「ソルヌン」は、3月22日にオープンしたばかりだ。
多くの客の目当ては、「平壌冷麺」(1200円)。
いまでこそ冷麺はさまざまな場所で食べられるようになったが、もともとのルーツは北朝鮮にあり、中でも代表的なものが、「平壌冷麺」である。
日本で一般的な韓国冷麺と呼ばれるものはでんぷんから作られるが、平壌冷麺はでんぷんにそば粉を加えた黒い極細の麺と素材の味を生かしたあっさりしたスープが特徴的だ。店を切り盛りするヨンヒさん(33才)が流暢な日本語で説明する。
「平壌冷麺は、麺の色が黒っぽく独特の歯ごたえがあるんです。
うちのスープは鶏、豚、牛からだしを取ったもので、麺と相性のいい深い味わいがあります」(ヨンヒさん・以下同)
ソルヌンは韓国・ソウルに1号店があり、日本の店舗は2号店となる。
1号店を経営するのは、かつて北朝鮮・平壌の最高級ホテル「高麗(コリョ)ホテル」の元シェフだったというヨンヒさんの母。実は、ヨンヒさんの母は脱北後に韓国で北朝鮮料理店を開いて成功させたという経緯がある。
そして、ヨンヒさんもまた、平壌で生まれ育ち、26才のときに脱北したという過去を持っていた。
ヨンヒさんは、1991年4月、北朝鮮の比較的裕福な家に生まれ、平壌の都心で育ったという。
「軍事パレードが行われる金日成広場をニュース映像などで見たことがあるでしょうか。
私はそこから地下鉄で2駅のところにあるマンションに住んでいました。
日本では裕福な家が上層階に住むようですが、北朝鮮では停電でエレベーターが頻繁に止まるから、上の方に住むのは貧しい人。お金持ちが住むのは2~4階です。
それでも、生活には制限がありました。
電気を使うことができるのは朝の2時間と、夜の3時間程度。
医療も発達しているとはいえず、虫歯は麻酔なしで抜いて、入れ歯にするのが当たり前でした」
国境の川で48時間も漂流
ヨンヒさんの周囲は一見、脱北の必要がない上流階級ばかりで、彼女自身も、大学卒業後は北朝鮮の軍隊に入り、“上”を目指すつもりだったという。彼女の心を変えたのは、脱北に失敗した親族の言葉だった。
「脱北後に中国で捕まり、刑務所生活を終えて戻ってきた親族と話す機会があったんです。その人に“この国に未来はない。広い世界に行ってほしい”と強く言われました。
この国を信じて疑わなかった自分には衝撃的なことで……話を聞くうち、脱北への決意が固まりました。
2015年夏、ヨンヒさんは脱北を実行した。
目標は、外国の韓国大使館で保護されること。まず、隣国中国での保護を目指したが、中国は警備が厳重なので、中国の南に国境を接するラオスの韓国大使館を目指すことに。
「脱北にはブローカーの助けを借ります。そのブローカーによって、脱北方法もさまざまなようです。費用はいまは日本円で500万円でも足りないといわれていますが、私のときは、100万円を彼らに支払いました。
まずは深夜に北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江(おうりょくこう)という川を泳いで渡り、中国に入国するつもりでしたが、思いのほか流れが速く、下流に押し流されて48時間ほど遭難しました。
なんとか中国に入国できたものの中国側にはカメラが多数設置され、パトロールも頻繁なので、必死に隠れながら山の中を歩きました。岩肌には、赤いハングル文字で“脱北者は殺せ”と何箇所も書かれているのが見えました。
暑さと喉の渇きで、“ここで死ぬのも捕まって殺されるのも同じ”と思い、見つかることを覚悟で国境の川に下りて水を飲みました。
そのとき、たまたま通りかかった中国のトラック運転手のおじさんに助けられ、積荷に紛れて移動することができたのです」
命拾いをしたヨンヒさんだが、北京、瀋陽、昆明と中国大陸を5000km以上南下しなければラオスにはたどりつかない。
なんとかラオスの国境を目の前にした雲南省まで行きついたが、「捕まったら北朝鮮に強制送還される」ことで有名な現地の警察署で取り調べを受け、牢獄に放り込まれた。
「死刑になるのは覚悟の上でしたが、家族が全員殺されるのだけは避けたかった。どうにかしようと、看守に貴金属のアクセサリーや米ドルなどの持ち金を賄賂として渡そうとしましたが、受け取りを拒否されて……。最悪の事態を覚悟しましたが、なぜか釈放されたんです。
理由はいまだにわかりません。そこから国際バスに忍び込み、ラオスの首都、ビエンチャンにある韓国大使館に命からがら到着したのです」
夫とともに日本で頑張っていきたい
ラオスを経由し、無事に韓国の地で自由を手にしたヨンヒさんは、別ルートで脱北した家族と韓国で合流。涙の再会を果たした。もともと祖母の代から家族が北朝鮮で料理を振る舞っていた影響で、自分も飲食店をやりたい、やるなら冷麺のお店だと思ったという。
「ようやくたどりついた韓国で食べた冷麺には驚きました。おいしいけど、子供の頃から北朝鮮で食べていた冷麺とは明らかに違う。それから100軒以上の冷麺のお店を回ったけれど、故郷の味には出合えなかったんです。そこで母のもとで修業し、大好きな平壌冷麺のレシピを受け継ぐことに。
その頃、韓国でたまたま出会った日本人の夫と結婚したので、日本に移住し、千葉でソルヌンをやることになりました。(今後は)私の料理を広めるのが夢かな。夫とともに、日本で頑張っていきたいです」
壮絶な人生を乗り越えたからなのか、彼女が作る冷麺はおいしいのはもちろん、非常に深い味がする。
※女性セブン2024年7月4日号