11月中旬に出された秋篠宮家長女の眞子さまの「結婚宣言」、そして11月末の秋篠宮さまの「結婚容認会見」で、3年近く膠着状態が続いていた眞子さまのご結婚が、いよいよ最終章へ向けて動き出した。
しかし、依然として前途は多難だ。「秋篠宮さまは、結婚は認めるとおっしゃいましたが、結婚と婚約は別だとも言われています。
その真意を推し量るのは容易ではないですが、皇族として『納采の儀』を行うことは認められないが、父として娘の結婚の意思は尊重するという立場を表明されたのでしょう。まさか、眞子さまが皇室から“勘当”同然に追い出された後、一般人として勝手に結婚すればいいと突き放されたのではないかと騒然となりました」(皇室記者) 秋篠宮さまが父として白旗を揚げられた背景には、眞子さまが小室圭さんとの結婚を《生きていくために必要な選択》と、強く主張されたこともあるだろう。
眞子さまのその強いお気持ちは、また別の当事者にも白旗を揚げさせることになった。小室さんの母・佳代さんの元婚約者だ。
「元婚約者のXさんは、佳代さんに貸していた400万円を“返さなくてもいい”と表明しました。眞子さまが公表した文書によって、結婚への気持ちがお変わりないことを知り、自分が眞子さまの幸せを邪魔していると思い詰めたようなのです」(皇室ジャーナリスト) これにより、金銭トラブルは表面上は解消された。
しかし、Xさんに大学の授業料や留学費用の名目で金銭を求めた事実、そして、当初は返済の意思を見せたものの、途中から贈与であると主張を変えた事実は消えようがない。「学費を名目に援助を受ける」「それは借りたお金であっても返さなくていい」 小室家は、この異様ともいえる強気な考えを一貫して持ち続けた。
それが日本中を驚かせた女性皇族との結婚延期という約3年にもわたる騒動を引き起こした原因だろう。その小室家の思考を生み出した“原点”ともいえる借金にまつわる出来事が、いまから20年前に起きていたことを、小室家に降嫁される眞子さまはご存じだろうか。
互助組織「友愛会」
それは小室さんが小学生だった頃に遡る。小室さんは当時、東京・国立市にある私立の国立音楽大学附属小学校に通っていた。「佳代さんは圭くんをバイオリニストにするか、音楽関係の仕事に就かせたかったようです。小学校入学前から地元・横浜でピアノやバイオリンを習わせ、佳代さんは圭くんの才能を疑わなかった。周囲には、“この子はバイオリンの天才なのよ”とほめちぎっていましたね。
小学校入学後は、家族で国立に引っ越し、父の敏勝さんは国立から勤務先の横浜まで通っていたほど、圭くん中心の生活を送っていました」(当時の小室家を知る人物)国立音大附属小(音小)は規模の小さい学校で、児童は1学年に80人程度しかいない。その中にあって小室さんは特に目立っていたという。
「両親のことを“お父さま、お母さま”と呼んでいて、品のよい子が多い音小でも有名な存在でした。優しい面もありますが、自信の表れなのか、クラスメートを見下したり、相手がいじめられたと感じることもあったようです。そういう話も、児童数が少ないからすぐに伝わってくるんですよ」(音小関係者)
小室さんの父親が自殺という形で亡くなったのは、そんな頃のことだった。
「圭くんが小学4年生のときです。
佳代さんは憔悴し、圭くんもしばらく学校を休んでいた。もちろん周りは心配しましたよ。
教育に熱心なご家庭だったので、大黒柱を失って、経済的にもどうするのだろうと」(前出・音小関係者) 同級生の少ないアットホームな学校では、すぐに1つの案が持ち上がったという。「学校側が、小室家に奨学金を出すことにしたのです。音小には、保護者や教職員などの互助組織『友愛会』というものがあり、毎月、組合費を支払っていました。