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「インネパ」で働くネパール人の多くは“同郷”だった 「バグルン」から日本のインド料理店への出稼ぎが殺到するようになった複雑な背景

「インネパ」で働く多くのネパール人は「バグルン」出身だった(室橋氏提供)

「インネパ」で働く多くのネパール人は「バグルン」出身だった(室橋氏提供)

 全国でネパール人経営のインド料理店が増加している。通称「インネパ」とも呼ばれるこうした店は、なぜ急拡大しているのか、なぜネパール人がインド料理店を営んでいるのか……。

 

様々な謎を解明するため、『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)を上梓したライターの室橋裕和氏にインタビューを敢行。後編記事では、実際にインド料理店で働くネパール人たちの共通点について紐解いていく。【前後編の後編】

日本のことをよく知らないまま来日するコックとその家族

 ネパール人はどのようにして店舗を拡大していったのか。

「2002年頃に外国人は『500万円以上の出資』があれば会社を作れるようになりました。

 

『経営・投資』の在留資格を取得するために、ネパール人コックたちはこの制度を活用して、インド人や日本人のお店のもとで稼いだ資金で起業します。

 

ネパールから調理経験のある家族を呼び『技能』の在留資格を取らせコックとして雇う。新しくネパールから来たコックも『経営・投資』の在留資格を取って、独立していく。

こうして、安定的に在留資格を取り続け各地に『インネパ』が広がっていきました」(室橋氏。以下、「」内は室橋氏)

 

 前編記事では「どの店舗の味も似通っている」ことについて言及したが、それは日本に来る目的と想いが変化してきているからだという。

 

「昔から日本でインド料理店を経営してきたネパール人は、『2000年代に来日した人間の店は経営に工夫が見られない』と言います。

 

1980~90年代に日本に来てインド料理の枝葉を広げた層はインテリが多く、日本人と結婚して社会とのつながりもしっかり固めていた。その根底に日本への憧れがありました。

 

 ところが、2000年代以降に急増した経営者はそうとは限らない。ネパールのなかでも田舎の出身者が多く、そういうエリアは国外への出稼ぎが“主要産業”になっている。

教育もしっかり受けられていない人が混ざっていて、『親族がいるから稼げるだろう』という理由で日本に来る人も多い。

 

つまり、稼げるのであれば日本でなくてもよかったんです。

日本のことをよく知らないまま、“とりあえず”で来日するコックとその家族が増えていく。そこには歪みが出てきてしまうのです」