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「最初は夫も幸せそうでしたが…」研究職を辞めた夫と地方移住した妻が語るリアルな実情 2年弱で移住を諦めて都心生活に戻るも「必要な体験でした」

山梨県へ移住したMさん夫婦が都心生活に戻ったワケとは(Getty Images)

山梨県へ移住したMさん夫婦が都心生活に戻ったワケとは(Getty Images)

 息苦しい都会での生活を離れ、地方への移住を夢見る人も少なくない。特にコロナ禍以降、各地での受け皿が広がり、リモートワークが普及するなどして、条件は整ってきた。

 

実際にやってみると、理想とのギャップに挫折する人も……。

そこで、リアルケースを取材、波瀾万丈の移住体験記をお届けする。

 

【千葉県から山梨県へ夫婦で移住したMさんの場合】
夫(52才)と息子(23才)を持つ専業主婦(47才)。2022年、45才のときに息子を東京に残し、夫とふたりで山梨県へ移住。2年弱の移住生活を経て夫婦で都内に暮らす。

コロナ禍で在宅勤務が増えたことで移住を決意

「移住生活はわずか1年7か月。でも私たち夫婦の関係は大きく変わりました」

 そう語るのは、山梨県富士河口湖町に移住した経験のあるMさん(47才)だ。

移住前は、千葉県内の持ち家(戸建て)に暮らしていたという。

 

「初めて夫から移住の話が出たのは2020年のこと。コロナ禍で在宅勤務が増えた夫は、“働く”ということについてじっくり考えるようになったようです。夫は医療関係の研究職で、私も同じ職場にいたので、夫の仕事の大変さはわかっているつもりでした。でもまさか辞めて移住したいと思っていたとは……」

 

 勤続25年。血尿が出るほどのストレスのなか、寝る間も惜しんで仕事をしてきた夫のTさん(52才)。コロナ禍で時間に余裕ができ、このままの人生でいいのか思い悩み始めた。

「息子も大学生になったことだし、体が動くうちに大好きな富士山が見える山梨県で暮らしたいという気持ちが膨らんだようです」

 

 

地方移住を成功させるための7か条

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 趣味の登山で何度も山梨県を訪れていたTさんは現地に知り合いも多く、その中のひとりから「畑を手伝ってほしい」と言われたことも影響した。

 

とはいえ、近所に住む70代の両親や都内にひとりで暮らす息子と離れるのは心配だった。しかも農業は未経験。課題が山積みだった。

 

「夫は頑固な人。“ぼくは山梨県で暮らすと決めたから、もし嫌なら離婚しよう”とまで言われました」

 

 Mさんはこのとき、20年以上働いておらず、山梨県には知り合いすらいなかった。

移住したとして収入が不安定な夫を支えるために何ができるだろう??必死で考えた末、趣味のアートフラワーの教室を開いてみようかと考えを変えた。

 

「これまで家事と育児しかしてこなかったので、これからの人生、好きなことをやるのもいいかもしれないと開き直りました」

 

 Mさんが移住を了承すると、夫はすぐに退職の意向を会社に伝え、自宅の売却に取り掛かった。

「自宅の売却は2021年11月から始め、約1年もかかりました。夫も引き継ぎなどの事情で、退職したのは2022年11月。引っ越しの2週間前のことでした」

 

 

新居を建てるも夫から笑顔が消えた

 移住の準備はほぼMさんだけで進め、行政には相談せず、支援金の申請もしなかったという。

 

「息子や老親は私のことを心配こそすれ、移住には反対しませんでした。

何かあればすぐに駆け付けることを約束し、私たちは2022年11月に移住し、畑を手伝わせてくれるという男性の自宅近くに家を借りました」

 

 毎日、大好きな富士山を望む生活。Tさんは当初、幸せそうだったという。

「夫は一日中農業の勉強をしていました。畑に通って土だらけになり、真っ黒に日焼けして……。まもなく、近くに家を建てたいと言うようになったんです」

 

 山梨に来てまだ数か月。収入は以前の10分の1に減っていた。貯金を取り崩す生活だったため、賃貸のまま様子をみるべきではないかとMさんは反対した。

「でも夫は聞いてくれず、自宅の売却金と退職金で畑の近くに家を建てました」

 

 2023年夏に新居が完成。そんな矢先、Tさんの様子がおかしくなり始めた。

「ため息をつき、無口になることが増えました。理由を尋ねると、畑の所有者である男性と意見が合わないようでした」

 

両者の間には次第に溝ができ、ついにTさんから笑顔が消えた。

「2度の引っ越しで、私は日々の生活を整えるだけで精一杯。

アートフラワーの教室を開くなんて夢のまた夢。泣きたいのは私でしたが、歯を食いしばり、男性と夫の間に入って、何度も話し合いの場を設けました」

 

 しかし、農業においては男性がベテラン。何度話し合っても平行線だった。

「男性は夫のことを、安く使える雑用係ぐらいにしか思っていないことがわかりました。もう悔しくて」

 

 Mさんは泣きながら、「あなたのみじめな姿を見るために山梨に来たんじゃない、もう帰りたい!」と感情をぶつけた。離婚を覚悟で家出をし、息子の家に逃げ込んだ。

 

「このときばかりは夫が折れ、“あの男性とは縁を切ったよ”と連絡が。

息子を東京においていくのは心残りでしたが、このときほど息子が心強かったことはありません。私にとって“逃げ場”になってくれたので」

 

 ちょうどその頃、Tさんのもとには以前の職場から、「戻ってこないか」との連絡が来ていた。

「いま振り返ると、夫は移住がしたかったのではなく、仕事を辞めたかったんです。

言い訳が欲しかっただけ。だから移住後の明確なビジョンがなかった。これがよくありませんでしたね。

 

 とはいえ、それほど辞めたかったのであれば、私も復職をすすめたくはありませんでした。

でも、先方が前よりもストレスの少ない、別の職場を紹介してくれ、夫も納得したようでした」

 

 

 結局、山梨の新築の家に住んだのはわずか半年。Mさん夫妻はいま、都内の賃貸マンションに暮らす。

 

「夫がまたいつ仕事を辞めたいと言い出すかわからないので、山梨の家は残してあります。

これからは逆にこの山梨の家が私たちの逃げ場になりそうです」

前よりも楽になった夫婦関係

 では、この移住が失敗だったかといえば、そうは言い切れないとMさん。

「仕事を続けていたら夫は壊れていたでしょうし、私も夫と話し合いを重ねることで強くなりました(笑い)。

それまでは夫の言いなりでしたが、無理なものは無理と言えるようになり、楽になりましたね。

 

 頑固な夫も、今回の件で私の意見を聞いてくれるようになったし、大きな貸しを作った気分。夫婦関係もよりよい方向に変わりました。

私たちにとっては必要な体験でした」

 

 人生は何があるかわからない。しかしこれからは何が起きても動じないと、Mさんはたくましく笑った。

 

 

※女性セブン2024年10月17日号