愛子さまは12月1日に18歳の誕生日を迎えられ、成年皇族になられるまであと2年となった。だが、皇族の人数は減少していく一方で、安定的な皇位継承の確保のためには何か手を打たねばならないのは明らかだ。ふたたび政府も検討するという皇位継承問題。最大の焦点は「女性天皇」「女系天皇」を認めるか否かだ。
この皇位継承をめぐる問題について、「週刊文春デジタル」では、各界の識者に連続インタビューを行った。今回は、名古屋大学大学院人文学研究科准教授の河西秀哉氏に聞いた。
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「近しく」「道徳性」のある存在になった
女性天皇に国民の8割が賛成している、女系天皇にも国民の7割が賛成しているとの世論調査の結果もあって、気の早い女性週刊誌には「愛子さまの天皇教育」まで特集されています。私自身の意見も、率直に言えば女性天皇も、女系天皇も認めるべきだと考えています。さらに長子優先、つまり男子が後で生まれてきても先に生まれた子を優先すべきだと思います。
このように考える最大の理由は、少子化の流れの中で、女性が何人も子供を産むことが難しい時代に、男子だけで家系を紡いでいくのは非現実的だからです。女性が天皇になれない制度となっているのは、家父長制が社会に色濃く残り、天皇が軍隊の長であった明治時代の名残ではないでしょうか。戦後までなんとなく続いてきてしまった制度が破綻したのが現在の状況なのです。現代の社会にあった、より「民主的」な形にすべきかと思います。
平成の30年という時間の中で、天皇の役割も変質してきました。昭和天皇まで「権威」というべき存在だったのが、平成の天皇からは国民に寄り添い、触れ合うことが期待されるようになった。先日の即位のパレードでも、観衆が躊躇することなく写真を撮ろうと両陛下にスマホを向けていましたが、いまや皇室と国民は、そんな「近しい」関係になったのです。
さらに、天皇に「道徳性」が特に求められるようになった。平成の天皇と皇后は、ご高齢にもかかわらず被災地を訪問されるなど、一生懸命に活動しているお姿に高い支持があった。国民の象徴としての内実を変化させて、いまの皇室があるのです。おそらく、こうした活動がなければ、いまの空前とも言えるような、人々からの尊敬や共感を集める皇室はなかったと思います。
現代の天皇をそう考えていくと、天皇という存在は「近しく」「道徳性」のあるということが重要なのであって、天皇が必ずしも男性である、男性から血を継いでいなくてはならないという必要はないのではないか、と思います。
天皇としての教育を考える
女性天皇、女系天皇を認めた方が良いと考えるもう一つの理由が、スムーズな皇位の移行が期待できることです。
いまの皇位継承順位のままでいくと、次の世代で秋篠宮家に天皇の立場が移ることになります。これまでの天皇は、天皇陛下が息子である皇太子を育てる側面があった。皇太子自身もその過程を通して、自分が天皇という立場に付く自覚を持った。
実際、上皇さまは、3人のお子さまの教育に明らかに違いを持たせていました。上皇さまは、天皇(当時の浩宮さま)が高校生から大学生だった頃、大学の先生を呼んで、一緒に過去の天皇のご事績を勉強されています。上皇さまは皇太子時代、昭和天皇の内奏の時に同席するようなケースもありました。いわば「実地訓練」です。ある種、歌舞伎の芸を親から子に教える「相伝」のようなものです。
そんな天皇としての教育を、いまの天皇が悠仁さまに出来るかというと、自分の子供ではないだけに遠慮があるのではないでしょうか。かといって、秋篠宮さまが悠仁さまに教育をしたところで、そもそも秋篠宮さまが将来の天皇としての本当の教育を受けていない。その点、「愛子天皇」となれば、ある種の“帝王学”を直接親から受け継ぐことができる。
平成から令和の時代へ、上手く移行しているように見えるのは、「平成流」の皇室を上手く継続させているからでしょう。それはやはり「実地訓練」「相伝」が必要ではないでしょうか。天皇から伝わる空気感を直接知った上でないとできない。男女関係なく、長子優先で相続させることで、将来的にもスムーズな皇位の移行が期待できるはずです。
“政略結婚”は国民が受け入れられない
道徳性を期待されている現代の皇室では、「男系派」の一部が言うような、旧宮家の男子を皇族に復帰させる案は非現実的ではないでしょうか。
天皇としての教育と同じく、小さいときから皇族としての教育を受け、皇族という立場の中で成長するからこそ育まれるものがあると思うのです。さらに、テレビで成長を見守られ「あの子も大きくなったわね」などと感じてもらいながら成長していくから国民との関係性が築けるし、皇族の子供たちも「見られている」という感覚を持って育つのです。
例えば私の友達が旧宮家の男子で、急に「実は明日から皇族になる」と言い出したら、「あいつといろんな悪いことしたのになぁ」と思いを巡らせてしまって、皇族として接するのは苦しいところがありますよ(笑)。道徳的な振る舞いとは、やはり小さな時から意識的に育まれ、形成されるものではないでしょうか。
また、「男系派」の中には、愛子さまや眞子さま、佳子さまと旧皇族の男子を結婚させれば良いと本気で言っている人もいますが、これも時代に合わないと思います。要は“政略結婚”。少なくとも、天皇2代にわたって恋愛結婚だったのに、次世代になって旧宮家の方と政略結婚することになったら、時代に逆行するようで国民が引いてしまうと思います。そのように愛子さまたちの意思を無視するようなことをしていいのでしょうか。それは、戦後の皇室が築きあげてきたものの否定になります。
そもそも男系派の人たちは、伝統、伝統と言いますが、歴史を辿れば女性天皇は普通にいる。また、「歴史上の女性天皇は『中継ぎ』だった」という説も、現在の歴史研究では否定され、その時期の皇族の中で政治的に優れた年長の女性が天皇に即位しているとされています。つまり人物本位です。「女系」の天皇については、例えば天智天皇やその弟の天武天皇は、お父さんも天皇、お母さんも天皇の「双系」天皇ともいえる存在。考え方によっては、「女系」天皇もいたといえなくもないのではないでしょうか。少なくとも、「男系でずっと紡いできた」と、ことさら男系だけを強調するのはどうなのでしょうか。
女性宮家が必要な理由
いまや「近しい」存在となった開かれた皇室には当然、負の側面もある。近しいからこそ見えてしまう部分です。いまの皇室がヨーロッパ型になって、国民との距離が近くなった結果、イギリスでダイアナ妃の問題が起こったように、日本では、眞子さまと小室圭さんのご成婚問題が生じました。
この問題も、平成以降の皇室が道徳性を重視してきた一つの結果であるようにも思います。私などはお二人を見ていると、今時の若者らしさもあって「ご結婚されればいいのに」と思ってしまいますが、一方で皇族に道徳性を求める国民からすると、小室さんが“汚れて”見えてしまうのです。
小室さんの問題はもう一つ、皇室の現状を映し出したと思います。それは、皇族そのものが少なくなっているという事実です。
眞子さまには皇族として同世代の話し相手も限られますし、父である秋篠宮さまとの関係を調整する立場の方もいない。もし皇族がもっと多かったら、いろんなアドバイスをする皇族が出てきたはずです。昭和天皇の時代なら三笠宮さまをはじめとした皇族方がいた。高円宮さまがご存命だったら、現代でもそのような役回りを引き受けられたはずです。それがいまは皇族が先細ってしまい、“親戚のおじさん”のような役回りで、皇族の間でのトラブルを調整出来る人が全くいないのです。
今後さらに皇族が減少することを考えると、女性宮家を作って、女性皇族に皇室に残ってもらうことには大きな意味があると思います。上記の様に、相談相手として、調整する立場としての存在意義を持つ皇族が増えることにもつながります。また、国民との距離を縮めることで今の高い支持につながってきた皇室だけに、担い手が減り続けたのでは、天皇の負担も、皇族一人あたりの負担も過度に大きなものになってしまいます。いまの「公務」を担うためには、やはりそれなりの数は必要です。
ざっくばらんに議論を
これから皇位継承についての議論が本格化すると、男系にこだわる人々も一定数おり、現実的に愛子さま、悠仁さまという存在が見えることもあって、女性、女系天皇の容認派が国民に多いとはいえ、無理に「愛子天皇」を強行すれば国論を二分することになりかねない。天皇制自体を揺るがしかねない事態にならないとも限りません。
そういう意味では、現状の妥協点として、具体的に「愛子さまか、悠仁さまか」と想定しないところから議論を始めるしかないかもしれません。このまま議論を強行すれば、お二人のうちのどちらを次世代の天皇に選ぶのかという“人気投票”にすらなりかねません。
現時点では、女性天皇、女系天皇の是非の判断までは踏み込まず、まずは女性宮家をつくって、愛子さまをはじめとした女性皇族の方々に残ってもらう。将来、悠仁さまにお子さまが生まれないような場合は、愛子さまを含めた女性宮家の皇族の力を借りる。お互い傷つけない妥協点としては、このあたりが落としどころになるかもしれません。
本来は愛子さまが生まれた頃に議論が出来たら、もっと本質的な議論ができたはずです。次世代にスムーズに移行できる「愛子天皇」という議論もしやすかったはずです。先延ばししているうちに、ずいぶん解きほぐすのが難しくなってしまいました。いまは、すぐには結論がでないからこそ、国会でも、有識者会議のような場でも、国民がタブー視せずに、ざっくばらんに話すしかありません。どこからか新たな結論がみえてくるか分かりませんから。