道草の記録

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福 島第1原発事故 5年目の真実(4)

むさしさん
プロフィール 様からお借りしてきました

■「自分より若いのを行かせられない」

街がまだ目を覚まさない午前5時。作業服姿の男性たちを乗せたバスの明かりが、東京電力福島第1原発へと向かう国道6号を照らす。「最初は眠くてしようがなかったけれど、もう慣れたね」。建設会社の下請けで働く男性(54)は力なく笑った。
男性が個人事業で行き詰まり、仕事を探し始めたのは、東日本大震災から2年ほどたったころ。関東の自宅マンションの家賃も、子供の学費の支払いも続いてい た。「原発で働こうと思ったのは、お金以外にない。『友達には話せないな』と子供に言われたのは少し、寂しかったけどね」
投入されたのは、高濃度の汚染水をためた簡易タンクの解体現場だった。放射線量が高い場所だったが、「この年齢だし気にしていない。むしろ線量が下がって、手当が下がるほうが心配だよ」。
10年先も、ここで働いているとは思わない。ただ、「廃炉が少しでも、現実的になっていてほしい」と男性は願う。
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「いつまで、“そこ”で仕事してんだ?」
大手建設会社に勤める男性(48)は電話口で両親からそう問いかけられた言葉が忘れられない。
男性は平成23年3月の原発事故から数カ月後に現場に入った。事故時は西日本の支社に勤めていたが、まさか自分がそこで働くとは、思ってもみなかった。
初めは後輩が名乗り出たが、「自分より若いのを行かせるわけにはいかない」と志願した。背中を押してくれたのは妻だった。「普段と同じように『行ってらっしゃい』と送り出してくれた。それが一番、ありがたかった」
直後の応援は数週間で終わったが、26年春から再び、原発構内の建設工事に入ることになった。夏場の過酷な現場では、熱中症も続出する。「もう少し、残ってくれないか」。会社にそう言われて、もうすぐ3度目の春を迎える。
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「現場はまだ収束なんかしてないよ」
1日に12人ほどの作業員を現場に送り出す「東北エンタープライズ」(福島県いわき市)の名嘉幸照(なか・ゆきてる)会長(74)は厳しい表情でこう語る。
事故前から福島第1原発の仕事を請け負っていた。現場の人材不足は深刻だ。政府が定めた被曝(ひばく)線量の上限(5年間で計100ミリシーベルト、1年 の限度は50ミリシーベルト)に達し、溶接や機械工などの熟練の技術者が現場を去らざるを得ない現実がある。「作業員は技術がなくても誰でもよくなってい る。これでは時間がかかるばかりだ」。名嘉さんはそう懸念する。
社員のほとんどは、震災と原発事故の「被災者」でもある。母親が津波で行方不明になり遺体安置所を捜し回っていた人もいた。
「社員には『頑張らなくていいよ』と言っているんだ。『自分がやらなきゃ』という思いはあるだろうが、もうずいぶんやったでしょ、と。でも彼らには『なんとか早く廃炉にしたい』という使命感が強い」
■被曝に上限、困難な人材確保
東京電力福島第1原発敷地内の作業環境は、事故後のこの5年間で大きく改善した。大部分で除染が進み、普段着で立ち入りが可能なエリアもある。これまでは 弁当しか支給されなかったが、温かい食事を提供する食堂を備えた大型休憩所も開設され、見た目には通常の工事現場に近づきつつある。
「作業員の高齢化が確実に進んでいる。労働時間が限られる福島第1原発では、人材育成も難しく、経験と技術のある質の高い人材を中長期的に確保していくことは、極めて厳しい状況だ」。原発労働者のあり方を研究している東京大の縄田和満教授(計量経済学)はこう指摘する。
東電によると、福島第1原発では事故のあった平成23年3月以降、27年12月末までに延べ約8万7千人が作業員として登録されている。当初3千人程度 だった1日当たりの作業員数は、大規模工事が本格化した26年夏ごろから増え続け、現在は7千人程度が現場で働いている。
内訳は東電社員が1割、残りの9割は「協力企業」と呼ばれる元請けや下請け会社の作業員で、4割が50代以上。下請けは6次近くまであるといわれ、重層的な下請け構造が問題を浮き彫りにした。
東電が実施した作業員への24年のアンケートでは、雇用者と給与の支払者が異なる「偽装請負」の疑いのある作業員が、全体の半数近くにもなるという結果が 出た。現在は15%程度に縮小している。下請け会社で働く20代の作業員は「今もピンハネ(中間搾取)はある。口を出して解雇されることもあり、作業員は 弱い立場だ」と打ち明ける。
「有能な人材を継続的に確保するためには、特別法を制定して直接雇用の仕組みをつくるなど、構造そのものを変える必要がある」。縄田教授はそう強調する。
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被曝(ひばく)の上限が作業員を確保する上で大きな障害ともなっている。「5年間で100ミリシーベルト」などと法令で定められているが、事故後の混乱で一時期250ミリシーベルトに上げたことがあった。
これまでに170人以上が線量を超過し現場を去った。この中には250ミリシーベルトを超える作業員が6人いる。24年7月には悪質な「被曝隠し」が明ら かになった。下請け会社の役員が、作業員が装着する線量計に、遮蔽効果がある「鉛のカバー」で覆うよう強要したのだ。事故直後に発生した高濃度汚染水の浄 化処理や、敷地内の表土を除去してアスファルトなどで覆ったことで、敷地内の大部分の線量は毎時5マイクロシーベルト以下に下がっている。顔全体を覆う全 面マスクは、敷地全体の9割で不要となった。
だが、原子炉建屋周辺では、依然として線量の高い状態が続く。廃炉工程によると、1号機のがれき撤去や3号機の燃料取り出しのための機材の設置など、高線量のエリアでの作業がこれから待ち受ける。
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廃炉作業は『危険』『地位の低い仕事』というイメージばかりが先行し、社会としてその必要性や意義を共有できていない。このままでは、住民にとっても 『誇れないふるさと』になってしまう」。一般社団法人「AFW(アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ)」代表で、元東電社員の吉川彰浩さん(35)はこ う話す。
AFWは廃炉作業を地域で支えるため、25年11月に設立された。昨年からは、福島県沿岸部の住民らの理解を深めるため、原発構内に案内する活動を始め た。事前に放射線廃炉作業の現状に関する勉強会を開き、車で構内を見学する。これまで7回開催し、県内の沿岸地域の住民ら約140人が参加した。「原発 事故後、住民と原発で働く人の間にできた溝を埋めたかった」と吉川さんは活動を始めた理由を説明する。
福島第1原発で働く作業員の半数は地元の人間だが、そうした事実も一般にはあまり知られていない。住民に実際に自分の目で見てもらうことで、作業員への目 線が変わる。「ありがとう」「お疲れさま」。その一言で、作業員の中にも「見られている」「期待されている」という意識が芽生えるという。
廃炉作業に対するイメージを一つずつ変えていくことが、作業員の働きやすさ、住みやすさにもつながる。その先に、この地域の未来が形作られていくのだと思う」。吉川さんはそう信じている。