お酒はいつ飲んでもいいものだが、昼から飲むお酒にはまた格別の味わいがある――。ライター・作家の大竹聡氏が、昼飲みの魅力と醍醐味を綴る連載コラム「昼酒御免!」。連載第13回は前回の赤羽から大宮へ、老舗から老舗の昼酒紀行と相成った。【連載第12回】
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赤羽で川魚をつまみに酎ハイをぐびぐびやった5月末、滞在時間の目安である90分をきっちり守った私は、飲み友ケンちゃんともども名店「まるます家」を後にした。
日ごろ、朝の遅い生活をしているので、午前11時からの酒は昼酒というより朝酒。朝飯代わりの鯉こくはじわりと身体を暖め、滋養を体内の隅々まで染み渡らせてくれた感があるけれど、モーニング酎ハイはやはり、軽く効いていた。駅前ロータリーでふと立ち止まり、考える。
はあ、酔っちまったね。これからどうするよ……。お茶でも飯でもないよなあ。と、すると、やはり酒か……。
その刹那。閃きました。大宮へ行こうと。
宇都宮線に乗ってしまえば、大宮までたしか15分くらいか。ということはここから20分もみておけば、目的の店に着けるだろう。なにしろ店は駅からすぐ近くなのだ。そう、昼酒、大衆酒場好きの方の中にはもうピンときている人もいるのではないでしょうか。
そうです、目指すはあの店。「いづみや本店」。大宮駅東口ロータリーに面していますから、ここを目指していって迷うことはないし、目的地を決めずにブラブラ歩くにしても、ごく自然に目にとまる。そして、この店の佇まいの渋さに、吸い込まれるように入店しまうのだ。
冷や奴190円、ハイボール350円
開宴(2軒目だけど)にぴったりな黄金の組み合わせ
ところで、JR大宮駅から東武野田線に乗り換えると2つ目の駅が大宮公園で、公園内に大宮競輪場がある。競輪は1948(昭和23)年11月に北九州は小倉で始まったのだが、2か月後の1949(昭和24)年1月に、ここ大宮でも開始された。それが、東日本における競輪の発祥という。ちなみに、私がたまに訪れる東京の京王閣競輪の発祥は同年の11月で、長年、年末のグランプリレースを観戦していた立川競輪は1951(昭和26)年に始まっているのだが、大宮のほうが歴史は古いのだ。開業から今年で76年、すごいことだと思う。
というのが、前振りで、何が書きたかったというと、今まさに足を踏み入れた「いづみや本店」の開業は1947(昭和22)年、大宮競輪よりさらに古い! というより、戦後すぐではないか。
何年前だろうか。JRAの東京競馬場はもとより、南関東公営競馬場や、競輪場、競艇場を巡ってギャンブルしながら酒を飲むという有意義なレポートをしたためていたことがある。そのとき一度、その前にも一度、大宮競輪にはお邪魔をしていたし、先に書いた大宮公園駅を挟んで競輪場とは逆側は有名な盆栽町で、安い盆栽を探しに歩いたことも一、二度あったから、大宮駅周辺はまったく知らないわけではない。そして、そのたびに、この駅前の、かなり以前から古色蒼然と言いたくなるような絶妙な雰囲気を醸し出していた酒場を覗いたものだった。
さっそく1杯、やろうじゃないか。頼むは赤星。最初のつまみは、煮込みといこう。
待ってましたの赤星大瓶。いいねえ大瓶。このお店、なんと550円で出している。安い。安すぎる。嬉しい。さあ、飲もう。ケンちゃんと乾杯をしつつ、壁に貼りだしてある品書きの数々を見る。ああ、ここは昔、飲み屋というより食堂だったんだなあ、と有難い気持ちにさせるメニューがずらり。納豆250円、お新香290円、おお! 冷奴はなんと190円。私は30年以上物書きをしていて、この言葉を使うのはおそらく初めてだが、「超絶」安いのであった。
ちなみに、この店の安さをもう少しだけお知らせすると、デュワーズのハイボール350円。ブラックニッカのハイボールは390円。このあたり、値付けが絶妙というか微妙というか、いずれにしても300円台という素晴らしさである。ちなみに、まぐろぶつも、390円とある。
煮込みは、とても濃厚に見えるし、味わいは確かに深いのだけれど、しつこくはなく、白い飯にのせて掻きこんでみたいようなモツ煮である。「まるます家」を出てから、そろそろ40分くらい経つだろうか。時刻はまだ1時半になっていないが、この日2軒目の昼酒ビールも爽快だ。
ハムエッグは素通りできない
実は最強のつまみのひとつ
最初の赤星と同じに迷わず頼んでいたひと皿がきた。ハムエッグである。ああ、きたきた、と思う。日ごろ、自宅なり、旅先の宿なりで、朝食にハムエッグを食べることは、ありそうでいて、そう多くはない。しかし、こうした大衆酒場の壁にハムエッグの短冊を見つけると、私はそれを素通りできない。
玉子が2個。ハム1杯。千切りキャベツとパセリが添えてある。玉子の白身に周囲を固められたハムから、私は食べようと思う。いやしかし、黄身も一緒に口に入れたい。ああ、やはり、黄身もハムも白身もざっくり切って醤油をぶっかけ飯にのせて食べたい……。
そこへケンちゃんの言葉が飛び込んできた。
「玉子は半熟派ですかよく焼き派ですか?」
「はあ?」
「分かれますよね、僕はよく焼き派。オータケさんは?」
「私は両刀使い。よく焼きでなんら問題ないが、半熟なら黄身をわってチュウチュウもできる」
「はあ……。じゃ、アジフライはどうですか。ソースか醤油かという問題。僕はソースなんですよね」
「わたしゃ、醤油。断然、醤油」
会談は決裂した。が、このハムエッグ、とてもうまいので、ふたりして、むしゃむしゃと食べ、ビールを飲むのだ。
店内を見渡すと中高年が多い。男性が多いが、比較的に若いカップルの姿も見える。穏やかな平日の午後だ。
「かわいい、かわいいお嬢さん、お酒ちょうだいな」
お客さんが、店の姐さんに声をかけた。
「かわいいお嬢さんなんていないわよ」
「いやあ、それだけの器量だ。昔はもてただろう。おれは、お嬢さんとお付き合いできるなら、刑務所入ってもいい」
「はははは」
すごいな、気合が違う。姐さんの渇いた明るい笑い声が耳に心地いい。
おふたりとも、私より先輩と思われるが、なんとも肩の力の抜けた楽しい会話をする。還暦を過ぎて、ふと思えば、先輩たちと飲むことからずいぶん遠ざかっていることに気づく。私は、なぜか急に嬉しくなってしまう。
お客さんは日本酒を飲んでいる。コップ酒だ。壁の品書きを見て、どうやら「菊水 お晩です」という酒らしいと見当をつける。コップ1杯、もっきりで270円。超絶安い。
このお客さんの飲みっぷりがまた、すばらしい。別のテーブルでお一人で飲んでいるさらに年かさの先輩と会話しながら、冷や酒を飲む。
「お嬢さん、お代わり」
「早いわね。もっとゆっくり飲んで。2分で1杯飲んでたら、たいへんだよ!」
目の前のグラスに酒があるとすぐに飲み干すクセがあるから、シングルモルトをストレートでやるのは要注意なんです。なんてことを私はこれまで何度か口にしてきた。しかし、2分で1杯の先輩を前にして、なんてしゃらくさいヤツだったのだろうと思い知らされた。かくなる上は、
「こっちもお酒、ください」
叫ぶしかなかろう。
ケンちゃんが頼んだやきとりの塩焼きが、辛口の日本酒によく合った。
短い午睡のあとは、もう一軒
クセになること間違いなしのカシラの味噌焼き
クセになること間違いなしのカシラの味噌焼き
午後3時を過ぎると、昼どきから飲んでは入れ替わっていた人たちの姿も、いったん引けてきた。夕方近くに潮が上げてくるまでの間、海の家で寝転ぶ真夏のけだるい午後みたいな感じ。こんなときは、短い午睡に限る。私たちは、それぞれ、ブラックニッカとデュワーズのハイボールを飲み干すと、店を出て、またJRに乗った。
空いている車内で目をつむり、気が付くと10分ほどしか経っていない。けれど、頭はすっきりしているし、外はまだ明るい。よし、もう一軒だ。
私たちが向かったのは蕨の名店「喜よし」(正しくは「喜」は「七」を3つ)。ここのカシラの味噌焼きを、ケンちゃんに食べさせたかった。店の大将とは、コロナ禍の前までは、競輪の年末のグランプリ観戦をよくご一緒していた。大宮の競輪のときもそうだったが、浦和の競馬とか、戸田の競艇とか、ふらふらと近くに来ては寄らせてもらってきた。ここのもつ焼きは、いつ食べても思わず、ニンマリ笑ってしまう。だから来たのだ。午前11時の赤羽で始まった昼酒は、夕方の蕨でまだ終わる気配がない。
なにしろ、レモンサワーが、うまい、うまい。
【プロフィール】
大竹聡(おおたけ・さとし)/1963年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒。出版社、広告会社、編集プロダクション勤務などを経てフリーライターに。酒好きに絶大な人気を誇った伝説のミニコミ誌「酒とつまみ」創刊編集長。『中央線で行く 東京横断ホッピーマラソン』『下町酒場ぶらりぶらり』『愛と追憶のレモンサワー』『五〇年酒場へ行こう』など著書多数。「週刊ポスト」の人気連載「酒でも呑むか」をまとめた『ずぶ六の四季』や、最新刊『酒場とコロナ』が好評発売中。