米をはじめ、日常生活に欠かせないものの値上がりが止まらないなか、2025年度の公的年金額は1.9%増額された。しかし、年金が増えたといっても、マクロ経済スライドにより物価変動率より0.4%低くなっており、実質目減りしている状況は変わっていない。
この先もインフレ傾向が続きそうな世の中で、これから年金を受給する世代が豊かに生きるためにどんな選択肢があるのか。『60歳からの得する年金 働きながら「届け出」だけでお金がもらえる本 2025-26年 最新版』の監修者で特定社会保険労務士の小泉正典氏に話を聞いた。
65歳までの「雇用確保義務化」のメリット
高年齢者雇用安定法の経過措置が終了し、2025年4月から 65歳までの雇用確保が完全義務化 された。
つまり、60歳が定年という会社でも、労働者本人が希望した場合は、原則65歳まで必ず雇用しなければならなくなっている。
これまでの経過措置期間中は、健康に不安がある人や勤怠不良の人は会社側が継続雇用NGといった条件を出すことができた。
ところが、完全義務化となった今は、どんな社員でも本人が「働きたい」と言えば、会社側は断ることができなくなったのだ。
これにより、60歳で定年退職した人が、年金をもらう65歳までの5年間、無収入になってしまう心配はほぼなくなったと考えられる。
65歳までの「雇用確保義務化」の落とし穴
しかし小泉氏は、60歳以降の継続雇用には数々の落とし穴があるという。
「65歳までの雇用が完全義務化されたといっても、定年年齢が65歳になったということではありません。
あくまで『働きたい』と希望する人を雇用することが義務化されたということ。
会社は希望者を誰でも65歳まで雇用せざるを得ませんが、実は、個別の雇用条件に差をつけることができるのです。
会社に残ってほしい人には、定年前の給料レベルを維持するような好条件を出すでしょう。
しかし、そうでない人には、非正規の有期雇用で給料を大幅に下げるといったこともできてしまうわけです。
給料が定年前の3~5割減り、仕事内容も定年前とはまったく違う業務に変わってしまうことは、決してめずらしくありません」
「高年齢雇用継続給付金」の給付率も縮小された
さらに小泉氏は、60歳以降に給料が下がった人に支給される高年齢雇用継続給付金の給付率が、賃金の最大15%から10%に縮小されたことを指摘する。
「高齢者人口が増え続けるなかで、社会保障制度は若年層や子育て世帯に手厚くなり、高齢者向けの支援制度は縮小していく傾向が見られます。
制度が縮小されても、生活が破綻しないよう、何歳まで働いて、収入はいくらぐらい見込めるのか、年金をいつからもらい始めるかといったライフプランや老後資金の見直しも必要になるでしょう」
年金の「繰り下げ受給」をする人は、わずか1.6%
老後のお金を増やすために誰でもできることとして、「公的年金の繰り下げ受給」が考えられる。
2022年の年金制度改正で、最長10年の繰り下げ受給が可能になり、年金額が最大84%も増額するという制度がスタートした。
今のところ、雇用の完全義務化は65歳までだが、70歳までの雇用も企業の努力義務となっており、65歳以降も働ける会社は少しずつ増えている。70歳まで労働収入があれば、年金の繰り下げ受給もできそうだが、果たして繰り下げ受給を選んでいる人はどれくらいいるのだろうか?
小泉氏に状況を聞いてみると……。
「2023年の年度末のデータによると、厚生年金の繰り下げ受給を選んだ人はわずか1.6%でした。
繰り下げ受給することで84%も受給額が増えると大騒ぎされたあとでも、蓋を開けてみれば、97.5%の人が本来の65歳受給を選択していたのです。
同じ年度末のデータで、70歳の人の繰り下げ受給率は3.2%と上昇傾向がみられましたが、ほとんどの人が65歳から年金をもらい始めています。
一方で、自営業など国民年金しかない人は、繰り下げ受給を選んだ人が2.2%だったのに対して、繰り上げ受給を選んでいる人が24.5%と10倍以上いました。
この傾向は、2025年現在でもあまり変わっていないと思います」
「繰り上げ受給」した人たちの理由
いったい、年金受給者はどのような意図で「繰り上げ受給」「繰り下げ受給」を選択したのだろうか。
厚生労働省の「年金制度基礎調査」(2023年11月公表)によると、繰り上げ受給を選んだ理由について多くの人が挙げたのは次の3つだった。
【年金の繰り上げ受給を選んだ理由】
●年金を繰り上げないと生活できなかったため………………21.2%
●生活の足しにしたかったため…………………………………20.2%
●減額されても、早く受給するほうが得だと思ったため……19.3%
繰り上げ受給を選んだ人の理由をみると、労働収入や老後資金では65歳までの生活をまかなえず、減額されてもいいから早く年金がほしい! という切実な状況がうかがえる。
「繰り下げ受給」した人たちの理由
一方、繰り下げ受給をした人の理由も上位3つを紹介する。
【年金の繰り下げ受給を選んだ理由】
●年金額が思ったよりも少なく、増やしたかったため………28.3%
●終身で受け取れる年金額を増やしたかったため……………26%
●自分自身に十分な収入があったため…………………………23.0%
これらの理由から、繰り下げ受給を選んだ人は、年金をすぐにもらわなくても生活できる収入があり、計画的に年金を増やそうとしているようだ。
「繰り上げ」も「繰り下げ」もしない人たちの理由
とはいえ、「繰り上げ」「繰り下げ」を選ぶ人はあくまで少数派だ。圧倒的多数となったのは、繰り上げも繰り下げもしない「65歳受給」を選んだ人。これら多数派が繰り下げ受給をしなかった理由はなかなか興味深いため、1~7位まで紹介しよう。
【年金の65歳受給を選んだ理由】
1位:65歳から受給するのが通常だと思っていたため……………………………40.5%
2位:65歳より前から年金を受給しており、65歳以降も引き続き受給したかったため
…………………………………………………………………………………………14.5%
3位:年金が増額されても、寿命を考えると遅く受給するほうが損だと考えたため
…………………………………………………………………………………………10.6%
4位:繰り下げ受給という制度を知らなかったため………………………………6.3%
5位:繰り下げると加給年金や振替加算がもらえなくなるため…………………2.2%
6位:厚生年金を受給しながら働いて年金が減額される場合、その分は繰り下げても増額されないため……………………………………………………………………………1.2%
7位:年金が増額されると、税・社会保険料の負担が増えると思ったため……1.1%
この結果をみると、戦略的に65歳受給を選んでいる人がいる一方で、「65歳でもらうのが通常」と何も考えずに65歳で年金をもらい始めている人が4割、「繰り下げ制度を知らない」という人も6.3%いることがわかった。
年金「受給繰り下げ」への高いハードル
この結果について小泉氏は、「働いていて生活に余裕がある人でも、65歳でもらえる権利が発生しているお金を、そのときにもらわず先延ばしにするというのは、多くの人にとって心理的なハードルが高い」と指摘する。
「繰り下げ受給は、『早死にしたら損』『もらえるうちにもらっておこう』という心理が働き、選択しにくい一面があります。
ただし、年金をもらいながらでも、会社勤めをしていれば、在職定時改定という制度で毎年厚生年金が増えます。
また、配偶者がいる人は、加給年金をもらうために繰り下げをしないという人もいます。
しかしこの場合は、国民年金だけを繰り下げる方法もありますが、知らない人も多いようです」
働き方、ライフスタイル別に「答え」は違う
これらの興味深い結果をみたこれから年金受給をするみなさんは、自身の受給年齢をどう考えるだろうか。
小泉氏が監修した『60歳からの得する年金 働きながら「届け出」だけでお金がもらえる本 2025-26年 最新版』では、会社員+パートの夫婦、自営業夫婦、フリーランス独身女性、会社員独身男性といった4つのケースを例に挙げ、年金のもらい方をさまざまな働き方・ライフスタイル別にシミュレーションしている。
現在50代の人でも、今後の働き方と繰り下げ受給で今から年金額を増やすことは可能だ。これから年金をもらう世代は、このシミュレーションを参考に、自分の働き方と年金受給方法をしっかり検討してほしい。
「年収106万円の壁」問題の影響
さて、5年ぶりに行われた2024年の財政検証後、「将来の年金制度はどうなるのか?」ということに国民の関心が集まるなか、国会では、2025年5月にようやく年金改革法案が閣議決定され、「年収106万円の壁」の撤廃が審議されることとなった。
「106万円の壁」が撤廃されれば、賃金が106万円未満のパートやアルバイト(学生を除く)も、週20時間以上働く人は賃金に関わらず社会保険加入の対象となる。
また、現在51人以上となっている企業規模も、2027年10月~2035年10月までの間に段階的に撤廃するとしている。
これにより、配偶者の扶養となっている国民年金第3号被保険者は激減するとみられる。
一方、シニア層にとっては、定年後、マイペースでのんびり働こうと考えている人も、厚生年金や健康保険に加入できる可能性が広がり、朗報といえるかもしれない。
「所得税の壁」問題の影響
「年収の壁」といえば、2025年前半に大迷走し、結局どう決まったのかよくわからないままの「所得税の壁」問題もある。
こちらは、これまで「103万円の壁」と呼ばれ、合計所得が103万円になると所得税が発生する壁のこと。この壁の引き上げを巡っては、壁の位置が上がったり下がったりと何度もゆらゆらした結果、所得税が発生する壁は最大160万円まで引き上げられることが決定した。
「最大160万円」と「最大」がつくのは、合計所得金額が多くなってくると壁の位置がどんどん下がる、つまり基礎控除が減るしくみになっているためだ。
壁が160万円になったのは、合計所得金額が給料のみで132万円以下(年収約200万円)の人だ。所得が132万円以下の人は、基礎控除95万円(改正前は48万円)+給与所得控除65万円(改正前は55万円)となり、収入から160万円が控除されるため、年収160万円以下ならば所得税が0円となる。
この基礎控除は合計所得額が132万円超から88万円、336万円超から68万円、489万円超から63万円、655万円超から2350万円までが58万円となり、所得が多くなるほど段階的に控除額が減るしくみ。これも2年間の期間限定で、それ以降は95万円以外の人はすべて58万円に統一されるという。
給与所得控除は最低55万円から65万円と10万円アップしたが、上限は195万円と変わらないので、合計所得額が655万円超(年収850万円超)の人の壁は253万円で改正前から10万円しかアップしていない。高所得者ほど減税効果が薄れるが、納税者の9割は年間2万~3万円の減税になるという。
年金の「手取り額」が増える人
では、年金生活者はどうかというと、所得税の壁が引き上げられたことにより、年金から所得税が源泉徴収される基準が変わることになった。これまでは、65歳未満で108万円以上、65歳以上で158万円以上の年金を受給している人は、年金から所得税が天引きされていた。
しかし、2026年度以降からは、所得税が天引きされる基準が、65歳未満なら155万円以上(公的年金等控除60万円+基礎控除95万円)、65歳以上なら205万円以上(公的年金等控除110万円+基礎控除95万円)の年金額に変更される。これにより、年金の手取り額が増える人もいるだろう。
ただし、誤解してはいけないのは、今回変更になった壁は「所得税の壁」のみであるということ。「住民税の壁」はまったく動いていないため、これまでどおりの基準で住民税は年金から天引きされる。
医療費や介護費の優遇や給付金の対象になりやすい住民税非課税世帯になれる人が増えるわけではない。国民健康保険料や介護保険料といったものも、従来通り年金から天引きされる。
実は、その金額のほうが、年金から天引きされる所得税よりずっと大きいので、「所得税の壁」が引き上げられても、年金の手取り額はあまり変わらない人も多いはずだ。
そこで、さらに年金の手取り額を増やすなら、定年後もちょっとだけ働いて会社の社会保険に入ってしまうのはどうだろうか。
社会保険料は給料から天引きされるため、年金からの天引きはなくなり、手取り額が増える。
さらに年金をもらいながらでも、社会保険料を納めた分は年金額に反映されるため、年金そのものも増える。
シニア世代こそ、適用拡大に乗っかっていくのがお得といえそうだ。
『60歳からの得する!年金 働きながら「届け出」だけでお金がもらえる本 2025-26年 最新版』 監修:小泉正典(特定社会保険労務士)
執筆者プロフィール
加茂 直美NAOMI KAMO
フリーライター。おもに年金、老後資金、行政手続きなどの細かい情報をリサーチし生活に活かすための記事を執筆。行政書士の資格を持ち、行政書士事務所オフィスリーガルブレーンを主宰。『定年前後の大正解最新版』(中島典子 監修/宝島社)、『税金をできるだけゼロに近づける本』(永江将典 監修/宝島社)、『60歳からの得する!シニア投資術』(西崎努 監修/ART NEXT)、『60歳からの得する!年金 働きながら届け出だけでお金がもらえる本2025-2026年 最新版』(小泉正典 監修/ART NEXT)などの取材、企画、構成、執筆を担当。