訪日客の予約が減った
2025年7月に日本で大災害が起こる――こんなウワサが日本国内や一部のアジア圏で広がっています。
ウワサの出所は、「東日本大震災を予知した」などとして注目を集めたマンガ家のたつき諒の『私が見た未来・完全版』(飛鳥新社)といわれています(オリジナル版は99年単行本化)。
その本の中で「本当の大災難は2025年7月にやってくる」「日本とフィリピンの中間あたりの海底がボコンと破裂(噴火)」し、「南海トラフ地震の想定をはるかに超える壊滅的な大津波が日本の太平洋側を襲う」という予知夢が紹介されていました。
今回のこの予言がちょっと不穏なのは、すでに実際に影響が出始めているからです。大手新聞などでは、香港からの旅行客の予約が減っている原因が予言のウワサだと報じています。以下、時系列に沿って該当の記事を示します。
「今夏に日本で大地震・津波」風水師の予言広がり旅行控え、香港便が週2往復に減便へ(2025年4月24日/読売新聞)
「7月に日本で大地震」…漫画の「予言」信じて訪日敬遠か 香港―仙台、徳島便が減便(2025年4月25日/産経ニュース)
「日本で7月に…」根拠なき“災害予言”が拡散 専門家の見解は(2025年4月26日/NHK)
以上の記事以外にも続報や後追い記事が複数出ており、5月9日には、地上波でもこの予言による観光客への影響を、宮城県の村井嘉浩知事の「かなり非科学的な根拠」「観光面で影響が出てくるのは由々しき問題」という記者会見の発言とともに取り上げていました。
例えば、前掲の産経ニュースでは、「春季の予約が見込みより3割程度減少し、調べると多くの香港在住者が『予言』を信じていた」という香港と仙台を結ぶグレーターベイ航空の日本支社長のコメントがありました。その後、「5月12日から月曜の1便の運航を取りやめる」という動きが進みました(大阪/関西〜香港線を減便 グレーターベイ航空、5月12日から週13往復/2025年5月9日/観光経済新聞)。
今後、これが国内外の様々な地域に飛び火するだけでなく、独り歩きして良からぬ現象を引き起こす可能性が否めません。ですので、単なるデマとして片付けるのも得策ではないのです。
その理由を「予言の自己成就」「スペクタクル(見世物)としての消費」という観点から論じたいと思います。
デマでも人の運命は変わる
予言といえば、「ノストラダムスの大予言」がよく知られています。1973年に祥伝社から刊行された五島勉氏の著書(『ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日』)がネタ元です。「1999年の7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」というフレーズが非常に有名で、一大ブームを巻き起こし、翌74年には映画化もされました。
もちろん、世界が破滅するような核戦争などは起きませんでしたが、90年代にまで及ぶ終末思想の拡大と浸透がオウム真理教のようなカルトに若者が吸い寄せられる一因になりました。
その後の顛末は皆さんご存じの通りです。つまり、根拠薄弱なウワサでも人々の運命を大きく変えるほどの行動を取らせてしまうことがあるのです。
かつて社会学者の廣井脩(おさむ)は、『流言とデマの社会学』(文藝春秋)で、過去に繰り返し発生している同じ型の流言を「潜水流言」と名付けて論じました。「流言のなかには、ほとんど同じ内容が時期をへだててくりかえし出現するものがある。この種の流言は、いったん出現した後まるで水に潜ったようにしばらく影をひそめ、機会を得てふたたび広がるため、さしずめ『潜水流言』とでも呼ぶべきものである」と述べ、昭和の時代に続発した予言騒動を振り返りながらその「実害」に触れています。
廣井は、1974(昭和49)年に大阪府八尾市にある新興宗教の教祖が、「この度、地球上に聖霊降りて大地震の起こることを予言なされています。時は、来る六月一八日午前八時前後。規模は恐らくマグニチュード九以上。今回は地球的にゆれます」という予言をし、「一同心して一時も早く大都市より安全地帯に分散せよ」と書いたビラ20万枚を、東京・静岡・名古屋・大阪・神戸などにバラまいた事例を示します。
予言の自己成就
その際、予告された「運命の日」の数日前から、東大阪市や八尾市で非常用食料が飛ぶように売れ、その当日には堺市の小中学生が午前8時を過ぎてから登校するという事態になったと指摘しています。
予言は見事に外れましたが、教祖が責任をとって自殺を図るという珍事まで引き起こしました。
別の予言騒動では、関連があるとされた地域の電気店で懐中電灯の購入が相次ぎ、在庫がなくなった例なども挙げており、人々の心理に一定の影響を与えていることが見て取れます。ここで思い出されるのは、2020年に発生したコロナ禍のトイレットペーパー騒動でしょう。
海外発の「トイレットペーパーがなくなる」というデマが日本に上陸し、恐るべきことにそのデマによってパニック買いが現実のものとなり、ドラッグストアなどで品切れが続出しました。
日本でこのデマが本格化したのは2020年3月に入ってからですが、2月上旬にブルームバーグが「(香港)市内の一部地域のスーパーマーケットではトイレットペーパーが入手できない状況で、ソーシャルメディアには空の棚や買い求める客の行列を映した投稿が相次ぎ、品不足をあおっている」と報じ、「『うわさを拡散する悪意ある行為』がコメやトイレットペーパーなどの品不足を招いた」という香港当局のコメントを紹介していました(マスク不足の香港、トイレットペーパーも品切れ続出/2020年2月6日/Bloomberg)。
このような状況を「予言の自己成就(自己成就的予言)」(Self-fulfilling prophecy)と言います。
もともとは、社会学者のロバート・K・マートンが提唱した概念で、1930年代にアメリカで起こった銀行倒産のウワサによる取り付け騒ぎとそれによる経営破綻などから着想を得たものです。
「ある出来事が起こるという予言」によって「その出来事が起こる可能性が高まる」ことを指しています。
インバウンドにもさらに悪影響
ポイントは、まったく根拠がなくても「ある出来事が起こるという予言」のみで回避行動が生じてしまうメカニズムにあります。コロナ禍では、非常事態宣言などで社会全体の不安が増大する中で、「トイレットペーパーがなくなる」というデマが一気に拡大しました。
デマを信じなくとも、デマによる買い占めを恐れる人々がドラッグストアなどに殺到し、通常の購買ペースであれば十分な在庫がある日用品が瞬時に払底したのです。
そのため、今回のこの予言の広がり方次第では、7月に近付くにつれて異常な消費行動が増加する可能性があり得ます。また、冒頭の報道に示した通り、インバウンドにさらなる悪影響を及ぼす可能性も否定できません。そして、やはり最も懸念すべきなのは、特定のグループや団体などがこれを奇貨として利用する事態です。個人レベルでも、何か重大な事件を誘発する因子になりかねません。
社会学者の清水幾太郎は、『流言蜚語』(ちくま文学芸庫)で、社会が危機に瀕し、秩序に動揺があるときが流言飛語の温床となると指摘しました。これは経済状況の非常時にも当てはまるかもしれません。米価高騰が追い打ちをかける物価高や収入の伸び悩みによる将来に対する漠然とした不安感、現状への不全感が蔓延しつつあるからです。
ここには、大災害にある種の「世直り」(「世直し」の受動版)を夢見る心境がうかがえます。
「何かが変わるかもしれない」という希望です。災害史研究が専門の歴史学者の北原糸子が、「災害という異常事態がもたらした非日常状態であり、しかもその非日常状態が日頃は願望の世界に属する一種の理想郷に近いという状態」と呼んだもので、「地震鯰絵」の読み解きを通じてその深層について詳らかにしています(『安政大地震と民衆 地震の社会史』三一書房)。
新しい「予言ブーム」の到来
北原は、「我が身は助かったという安堵感」「日常生活の全き中断」「公・私レベルの重層的な救済」「現実の非現実性」などを挙げていますが、その中でも「日常生活の全き中断」「現実の非現実性」は、大災害によってもたらされる解放感や高揚感、従来の世界ではあり得なかった出来事やコミュニケーション、内的な変革が実現するというスペクタクル(見世物)の側面があります。
そういえば前述の清水は、「嘘を語る人間は無力であっても、この嘘によって生み出された環境は断じて無力ではない」と意味深なことを述べています。
これは、ある予言が世の中を翻弄すればするほど、その予言の真実味が増すという悪循環を招き、ますます「予言の自己成就」に向かう最悪のシナリオを示唆しています。
2025年の新しい予言ブームは、スペクタクル(見世物)によって凡庸な日常をやりすごすことを願うわたしたちの心中を養分に膨れ上がっていく怪物なのです。
評論家・著述家
真鍋 厚
ATSUSHI MANABE
PROFILE
1979年、奈良県天理市生まれ。大阪芸術大学大学院芸術制作研究科修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。専門分野はテロリズム・戦争、宗教問題とコミュニティの関係など。著書に『テロリスト・ワールド』『不寛容という不安』がある。