昨今、がんにかかる人は増加しているが、死亡率は年々下がり続けているのをご存じだろうか――。
「がん治療」の進化が著しいことが大きな要因の一つだ。
一方で、患者側の最新医療に関する知識がアップデートされていないばかりに、手遅れになってしまうケースも残念ながら少なくないという。
がん治療で後悔しないために、私たちが身につけておくべき知識とは何か。
国立がん研究センターが、現時点で最も確かな情報をベースに作成した『「がん」はどうやって治すのか』から、最新の治療薬についてお伝えしたい。
今回は、がん治療に大変革を起こしたと言われる「分子標的薬」について解説しよう。
*本記事は国立がん研究センター編『「がん」はどうやって治すのか』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。
6割強の人が「治る」ようになった
1970年代まで不治の病とされてきたがんですが、今では、6割強の人が治ると言われます。
これまでたくさんのがん患者の治療を行ってきた国立がん研究センターでも、「救える命が増えている」という実感があります。
実際、治癒(寛解)したとされる「がん治療後に5年間生存した患者」の割合は年々増えており、2009~2011年にがんと診断された人では男性で62%、女性で66.9%がその後5年間生存しています(図「5年相対生存率の年次推移」)。
5年相対生存率の年次推移(男女別)。
あるがんと診断された人のうち5年後に生存している人の割合が、日本人全体で5年後に生存している人の割合に比べてどのくらい低いかで表す(* 国立がん研究センター がん情報サービス がん統計「がんの生存率」[https://ganj oho.jp/reg_stat/st atistics/stat/annual.html]より)
従来の抗がん剤のターゲットは細胞増殖
治療成績の向上の背景には、治療法の進歩があり、なかでも薬物療法は、後ほど述べる分子標的薬が登場した1990年代後半を境に大きく変わりました。
従来から用いられていた抗がん剤は、がん細胞に対して殺細胞効果を示すことを指標に、1940年代から開発されてきた薬です。長い間、そのがん細胞殺傷のメカニズムは明らかにされませんでしたが、現在では、そのいずれもが、細胞周期のどこか一部を邪魔することでがん細胞を攻撃する細胞障害性(殺細胞性)抗がん薬であるとわかっています。
がんの最大の特徴は異常な細胞増殖であるため、細胞増殖をターゲットにするこれらの薬はがんに対して高い障害性を示すのです。
分子標的薬の開発
こうして従来の抗がん剤のメカニズムが解明されてきたように、生体を遺伝子やタンパク質といった分子のレベルで理解しようとするのが分子生物学です。
1953年にワトソンとクリックが、「デオキシリボ核酸(DNA)が遺伝物質である」と明らかにしたことを契機に始まった研究分野で、がんもまた、その研究対象となりました。
その成果として、遺伝子に変異が入りその働きが亢進するとがんを発症するがん遺伝子や、逆に働きが抑制されると発がんするがん抑制遺伝子といったがん関連遺伝子が次々に発見されました。
さらに、こうした遺伝子の変異がいくつも積み重なった結果、がんが発症することも明らかにされました。
1990年代後半になると、分子生物学によって明らかになったがん関連遺伝子に起因するがん発症のメカニズムに基づいて、新しい薬が開発されるようになりました。
こうした薬は、治療ターゲット(標的)の分子が明確であることから分子標的薬と呼ばれます。
標的を明確に定めたことで、特定のがん種に対する有効性が極めて高く、医療現場を大きく変えました。
今では、がん治療の重要な担い手です。
何を標的にしてがんをたたくか
では、実際にどのような分子標的薬があるのでしょうか。図に、正常な細胞の増殖や生死、細胞周期の進行に関わる細胞内シグナル伝達を模式的に描きました。
そこに、現在使われている分子標的薬を、抗がんメカニズムに基づいて分類し書き加えています(図「細胞周期の進行に関わる細胞内シグナル伝達」)。
細胞周期の進行に関わる細胞内シグナル伝達。下流のシグナル伝達を標的にすることでがんの増殖を阻止する(『ワインバーグ がんの生物学(原書第2版)』(南江堂)をもとに作成)
図では、まず細胞膜に埋まっている受容体に、細胞の運命を発動させる物質(リガンド)が細胞外から結合します。これをきっかけに、細胞内のタンパク質がリレー式でシグナルを伝達し、最終的に細胞の増殖、生死、細胞周期の進行など、正常な細胞の運命が決まります。
最初にリガンドと結合する受容体は、上皮成長因子受容体(EGFR=HER1)や、ヒト上皮成長因子受容体2(HER2)などで、いずれもHERファミリーといわれる膜タンパク質の仲間です。
とくに、EGFRはすべての上皮細胞に存在しており、多くの固形腫瘍組織で過剰発現していることがわかっています。
これらの受容体は、自身がキナーゼといわれるタンパク質にリン酸を付与する酵素の働きをもっているため、リガンドと結合すると自分自身にリン酸を付与します(自己リン酸化)。
このキナーゼによるリン酸化が、その後の細胞内シグナル伝達の始まりの合図です。
さらに下流のシグナル伝達も、さまざまなキナーゼが次々にタンパク質をリン酸化することでリレーのように進んでいきます。
そのため、どのキナーゼやタンパク質の異常によってがんが発症しているかによって、阻害するキナーゼが変わってくるため、適応する薬が違ってくるのです。
ただ、すべての分子標的薬に共通するのは、「がん遺伝子」と呼ばれる、変異が入りその働きが亢進するとがんを発症する遺伝子由来のタンパク質を標的としていることです。
がんを発症する遺伝子由来のタンパク質を標的としている photo by iStock
実際の分子標的薬には、低分子化合物と抗体医薬品がありますが、いずれもシグナル伝達タンパク質への阻害作用を有します。
1980年代から、製薬会社は自社がもっている分子量約500以下の低分子化合物のライブラリーから欲しい治療効果を発揮する化合物をスクリーニングして創薬してきました。
このなかで低分子化合物の抗がん剤が開発されました。
バイオテクノロジーの進展で「抗体医薬品」が登場
一方、2000年代に入る頃からは、バイオテクノロジーを基盤とする生物生産によっても医薬品が製造されるようになりました。その代表が、抗体医薬品です。
抗体とは本来、免疫系において、細菌やウイルスなどの異物がもっている特定の抗原(目印)に結合して、その異物を生体内から除去する働きをする分子です。
抗体医薬品は、この抗体の「特定の抗原に結合する」性質を薬として利用するために人工的につくられました。
抗体医薬品は、標的タンパク質に結合してその働きを阻害することで抗がん作用を発揮します。
低分子化合物よりも標的に対する特異性が高いため副作用の心配が少ない点や、薬物の体内在留時間が長く投与間隔をあけられる点などが優れています。
しかし、分子量が大きいために基本的に細胞膜を通ることができません。
そのため、細胞膜上のタンパク質を標的にすることはできても、細胞内部のシグナル伝達に関わるタンパク質を標的にはできないという制限があります。
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さて、がんと治療薬の問題について、「薬剤耐性」の問題がある。回を改めて、詳しくお伝えしたい。