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小室圭さん、3回目の挑戦で司法試験に合格しても取材には無言を貫く、眞子さんの祖父・川嶋辰彦さんの一周忌にも帰国せず

 

 

 

長い髪を“お団子”にまとめ、ワイヤレスイヤホンを装着。スーツにマスク姿で、ニューヨークの街を闊歩する男性─小室圭さんだ。

「10月31日、ニューヨーク司法試験の合格後、初めて日本のテレビカメラの前に現れました。記者から“おめでとうございます”と声をかけられても完全にシカト。約1分半の直撃取材は、肉声はおろか、リアクションすらも得られませんでした」(皇室担当記者)

7つの質問に無言

 小室さん夫妻は、11月14日で渡米から1年を迎える。

「皇族として30年を歩んだ眞子さんが、異国の地で新婚生活をスタートさせるのは、正直心配でした。物価が高いニューヨークで家計をやりくりできるか。アジア系へのヘイトクライムが急増する中、危険な目に遭わないか。家族に会えない環境がストレスにならないか……。ですが、それらは杞憂に過ぎませんでした」(皇室ジャーナリスト)

テレビを通して、自分たちの暮らしぶりが国民に届き、もしかすると秋篠宮ご夫妻もご覧になるかもしれない、ということに思いを巡らせれば、自然と別の振る舞いになったはず。

順風満帆な道を歩み始めた夫妻にとって、周囲の視線はどうでもいいのかもしれませんが……」(前出・宮内庁OB)

 結婚会見で「海外に拠点をつくってほしいと私が(圭さんに)お願いしました」と明かした眞子さん。祖国への“未練”は、もうないのか……。翻って日本には、帰省を心待ちにしているご家族がいる。

《今は直接会うことが叶いませんが、庭の花の世話をしながら、木香薔薇のアーチを作り、いつか娘と一緒にゆっくり庭を歩くことができましたら、と思っております》

 紀子さまは今年9月、誕生日文書で、眞子さんへの切なる母心をそう綴られた。



「当初、眞子さんの“里帰り”のタイミングとして有力視されていたのが、美智子さまが88歳の『米寿』を迎えられる10月20日

美智子さまのかわいい初孫である眞子さんが、ニューヨークのお土産話とともに元気な顔を見せるのが、何よりもお祝いになる、という声が上がっていました」(宮内庁関係者)

 しかし、眞子さんが帰国することはなかった。

祖父の一周忌には帰国せず

「圭さんが2度も司法試験に落ちたのが誤算でした。

3度目の合否が判明するまでは、日本の地は踏めないと考えたのでしょう。

結婚問題を静かに見守ってくださった美智子さまに、感謝と近況を伝えることはできませんでした」(同・宮内庁関係者)

 祖母の米寿はむげにしたが、再び帰国すべき機会が訪れた。

「11月4日は、紀子さまのお父さまで眞子さんの祖父にあたる、学習院大学の名誉教授だった川嶋辰彦さんの一周忌でした」(前出・記者)

 眞子さんと圭さんが結婚する1週間前に都内の病院に救急搬送された川嶋さんは、初孫の晴れの日を見届けた9日後、81歳で亡くなった。

「入院中には、小室さん夫妻がそろってお見舞いに行き、“孫の夫”との面会も実現。ひとりで病院を訪れることもあった眞子さんは、紀子さまと佳子さまとともに最期を看取りました」(同・記者)



文藝春秋』'22年1月号によれば、結婚問題が混迷を極めていた時期に、《どうして小室さんでダメなのか、僕にはさっぱりわからない》と、漏らしていたという川嶋さん。

 

自宅で行われた家族葬には、小室さん夫妻も参列したが、一周忌はどのように執り行われたのか。

「“川嶋家”は一般の家庭ですから、一周忌などの法要も皇室のしきたりに従う必要はなく、川嶋家が判断すればいいことです。皇族方の出欠や対応に関する決まりも特にありません。

 

皇室を離れた眞子さんが、“遠く離れたところに住んでいるから伺えない”というのも一般的によくあることで、十分に理解できます。

 

ただ、小室圭さんの司法試験合格のタイミングでもあり、その報告を兼ねて帰国されてもよかったとは思いますね」(宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さん)

 前出の宮内庁関係者も“凱旋帰国”に期待を寄せていた。

「夫妻にとって“弁護士デビュー”は、結婚の次に大きな節目といっても過言ではなく、秋篠宮ご夫妻へ感謝と抱負を直接伝えにいくのが筋でしょう。

川嶋教授の一周忌をスルーし、帰国の機会をむげにするのは、さすがに不義理なのでは……」

 “帰らない”決断が、日本とニューヨークの距離を、より遠ざけていく─。


山下晋司 皇室ジャーナリスト。

23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。書籍やテレビ番組の監修、執筆、講演などを行っている