道草の記録

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山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」

自殺未遂後、「兄・妹の生活が困窮しているので、私の死亡保険金を渡して助けてやりたい」と語ったという山上徹也容疑者

 
 
安倍晋三元首相の襲撃事件から2カ月が過ぎた。母親の世界平和統一家庭連合(旧・統一教会、以下、統一教会)への献金が判明するものの、山上徹也容疑者が凶行に至った原因はいまだ不明瞭なままだ。

 事件前から献金を巡り、統一教会と対峙してきたのが、元弁護士である山上容疑者の伯父だ。伯父はこの2カ月、メディアの取材に応じながらも、自らも過去の事実関係を整理してきた。なぜ母親は統一教会にのめり込んだのか。山上容疑者が自殺未遂を起こした原因は何だったのか――。

(インタビュー後編は「統一教会からの『返金終了』が山上家貧窮の決定打」
※この記事は東洋経済オンラインからの転載記事です)

——甥っ子である山上徹也さんが安倍晋三元首相を銃撃する事件を起こして約2カ月が経ちました。伯父さんへの取材も殺到したと思います。


 事件が起きた7月8日の昼、息子たちから電話がかかってきた。「徹也がえらいことやった」と言うんでテレビをつけたら、容疑者「山上徹也」と大きく報じられていた。すぐに徹也の母A子と妹のB子に連絡し、「急いで荷物をまとめてうちへ来い」と指示を出した。2人はそれから1カ月ほど、この家(伯父宅)で過ごした。

 その間、私は何よりも事実関係を正しく解明してほしいという思いから、自分にできることはすべてやってきたつもりだ。

 事件直後に検察と連絡を取り、検事がメディアに囲まれていた自宅に2度にわたって来た。検察には所持していた資料をすべて渡すとともに、A子の調書をその場で作成してもらった。資料は私が山上家に仕送りした際の振込用紙や、2007年に他界した家内が手帳に記していたメモ、私が統一教会と交わしたFAXの記録など一式だ。

 検面調書作成の翌日である7月15日、私はメディアの囲み取材に応じ、6日間に及ぶメディアの囲い込みが解けた。徹也の伯父として、マスコミへの説明責任も果たしてきた。中には面白おかしく書いたり、取材もしていないのに私の話を聞いてきたかのような報道をするメディアもあったが。

夫は自殺、弟は小学5年生で事故死
――徹也さんが犯行に及んだ理由を今、どのように考えていますか。

 原因は1つではない。さまざまな要因が複合的に絡み合って起きた事件だ。解明するのは簡単じゃない。だから事実関係を間違いのないようにしっかり解明してほしいのだ。いずれ始まる徹也の裁判で、妥当な判決が下されるためにも。

 徹也の母A子は、今、社会から強く非難される立場になった。ただ、A子が多額の献金をしてしまうまでには一族内でいろんなことが起きている。A子にとって、何かにすがらないと自分を保てないような現実があったのも事実だ。
 
 
A子の夫、つまり私の弟であり徹也の父親は、1984年に飛び降り自殺をしている。
A子の父親の建設会社でトンネル工事の現場監督をやっていたのだが、過労とアルコール中毒うつ状態だった。
京都大学工学部卒業で、学者の道を志していたほどまじめな男だっただけに、裏金が飛び交う業界の常識に懊悩(おうのう)していた。
現金を持ち運ぶ仕事までやったと本人から聞いたことがある。限界だったのだろう。

 その3年前の1981年、A子の母親も白血病によって急死している。
A子にとっては精神的な支柱だったから、これも彼女には堪えただろう。
さかのぼれば、A子は中学2年の頃、当時小学5年生だった弟も交通事故で亡くしているんだ。


ーー徹也さんの兄も病気だったと報じられています。

 長男は生まれてすぐにリンパ腫が判明し、あごが次第に膨らんできた。
抗がん剤治療を受けたが、その副作用で片目を失明した。
小学生の頃にはリンパ腫が脳に転移し、頭蓋骨を開く手術をしている。5時間にわたる大手術で輸血が必要だったから、私も血液を提供した。

 親兄弟の不幸と、長男の重病、そして夫の自殺。何かにすがりたくなる気持ちは、わからなくもない。

 A子は夫が自殺した翌年の1985年2月に長女を出産した。徹也の妹B子だ。徹也は重病を抱える兄と、自分が父親代わりとなって面倒をみる妹に挟まれた、3人兄弟の次男として育った。

 大黒柱のいないA子一家を見かねた私は、B子が生まれた2カ月後(1985年4月)から毎月5万円ほどの生活援助金を送ってきた。事件後、検察に渡した仕送り用の振込用紙は、封筒がパンパンになるほどの量になっていた。

献金が判明し仕送りを止めた
――A子さんが統一教会に入信し、多額の献金をしていることを知ったのは?

 1994年のことだった。きっかけは、うちの近所に住んでいたおふくろ。おふくろは孫たち(徹也たち)をえらく可愛がっていて、しょっちゅう3人を呼び出しては食事したり、小遣いを与えたりしていた。

 ある時、おふくろがいつものように孫たちと会っている時、A子が統一教会献金していることを耳にしたんだそうだ。
後から詳細がわかるのだが、1991年に入信していたA子は、夫の生命保険6000万円のうち2000万円、3000万円を次々に一括で献金してしまっていた。
おふくろが孫たちから聞いたのは、生命保険最後の1000万円を献金した直後のことだった。

 驚いたおふくろがうちの家内に伝え、私の知るところとなった。
家内は1994年8月当時、手帳に「統一教会、発覚」というメモを記している。徹也が中学2年生の時だな。

 発覚したことで、仕送りはいったん止めることにした。
 
 
ただ1998年には仕送りを再開した。建設会社の社長をしていたA子の父親(徹也の祖父)が亡くなったんだ。
それまでは父親の役員報酬がA子たちの生活を支えていたが、それが途絶えてしまった。家計が困窮することは目に見えていて、家内と話し合った結果、仕送りを再開することにしたんだ。

――それでもA子さんは統一教会への献金を続けていた。

 そう。私はA子に「統一教会にいくら献金したんだ」と何度も訊いた。しかしA子は、事件後の検事調べの自白に至るまでこの質問には一切答えていない。

 事件後、検察が気づいて私に教えてくれたんだが、家内は振込先をA子から、徹也や徹也の兄の口座に変更していた。A子にお金を振り込んでも統一教会にそのまま献金されてしまうと考えたんだろう。

祖父の死後、さらに信仰にのめり込む
――資金援助は受け続ける一方で、統一教会への献金は続ける。献金額も明らかにしない。道理に反しませんか。

 常識で考えたって無駄だよ。そういう人間じゃなくなっているんだから。

 A子は夫の生命保険を献金してしまっただけでなく、1998年には父親名義の土地を父親に断りもなく売却して献金してしまっている。 徹也はTwitterに「(祖父が)包丁を持ちだした」と書いていたようだが、あれは父親が娘A子に「(統一教会を)脱会しろ!」と怒り狂っていた時のことなんだ。A子の父親は、その2カ月後に他界してしまった。

 身内の不幸を背に、A子はさらに信仰にのめり込んでしまって、1999年には自分や子どもたち3人が暮らしていた家まで売却してしまった。これはひどかった……。家族は家を失い、その後は借家を転々とする生活を送ることになったんだよ。

 A子は2002年に破産してしまった。そのことを私が知ったのは、ずいぶん後になってからのことだが。
 
 
――徹也さんは1998年に名門・奈良県立郡山高校を卒業していますが、大学には進学していませんでした。
 頭脳は明晰だし勉強する意欲もあった。ところが家庭の経済状況から大学進学は断念せざるをえなかった。消防士になるための公務員試験向け予備校に通いたいというので、私が費用の75万円を工面した。

 それで何度か受験したのだが、筆記試験は通っても、最後は合格できなかった。徹也は強度の近眼でね。それがネックになったようだ。これが2001年頃のこと。


 不憫に思ったうちのおふくろが徹也を家に呼んで、しばらくおふくろのところで生活していた。勉強したり、仕事探しでもやれということで。当時、家内の手帳には「パソコン 10万円」と記してある。おふくろがパソコンでも買うてやれと言うんで出してやったんでしょう。

 うちの息子がたまたま徹也のパソコンをのぞいたら、英検の問題集が映っていたらしい。英語を勉強しようと思うてたんかな。

死亡保険金を兄妹に渡して助けてやりたい
――翌2002年には海上自衛隊に入隊しています。

 広島の親戚に海自の関係者がおってな。徹也も佐世保教育隊を経て、呉の海上自衛隊基地の実習部隊に配属されることになった。

 ところが2005年の2月、海自から私のところへ連絡があった。徹也が自殺未遂をしたと。母親と連絡が取れないから連絡先を教えてほしいという問い合わせだった。

 私は、その前の年からFAXでやりとりをしていた奈良の統一教会・元教会長に連絡を入れ、A子の居場所を尋ねた。すると「韓国で40日修練をやっている」と。「戻り次第、病院に行かせます」ということだった。

 海自が作成した事情聴取の報告書によると、徹也は「統一教会によって人生をめちゃくちゃにされた。兄・妹の生活が困窮しているので、私の死亡保険金を渡して助けてやりたい」と語っていた。その報告書も検察に渡してある。

 結局、A子は40日修練が終わるまで帰ってこなかった。

――息子が自殺未遂をしたという報に接したら、急いで帰りませんか。
 だから常識で考えたらダメなんだ。そんなこと考える人間じゃなくなっているんだから。

――徹也さんとしては、母親に来てほしかったのでは。
 逆だろう。徹也はA子にだけは会いたくなかったのではないか。
 
 
――自殺未遂の原因を、どのように考えていますか。
 今回の事件の後になって、いろんな事実関係が私の中で繋がってきた。

 徹也は自殺未遂をする前、加入する生命保険の受取人を母親のA子から兄と妹に変更している。なぜそんなことをしたのか。実はその1年前の2004年、徹也の兄から私に電話があった。


「母親が韓国に行ったきり、帰ってこない」と。しかも「食べ物が尽きて、何日も食べてない」という。徹也の兄はこの頃から病状が悪化しており、外で働けるような身体ではなくなっていた。
 
妹のB子も高校をやめてアルバイトをしていたが、家庭を支えるような力はなかった。兄からの電話を受けてびっくりしてね。私と家内は急いでスーパーへ行き、にぎり寿司とか缶詰なんかを買って持っていった。

 冷蔵庫の中は空っぽ。流し台には、いつ使ったのかもわからない汚れた食器が放置されたままだった。あの時、顔をしかめた家内の表情が、今でも忘れられない。

 帰り際、兄にいくばくかの現金を渡した記憶があったんだが、今回の事件後、あの時に渡したお金で滞納していた光熱費を払えたとB子から聞いた。

一人で「最後の晩餐」をやっていた
――徹也さんは実家の状況を知っていた?

 どうもその時の経緯を徹也は兄弟たちから聞いていたらしい。だから自ら命を絶ち、保険金で兄と妹の生活費を捻出しようとしたんだな。

 自殺に踏み切る前、徹也はサラ金などから合計100万円ほど金を借りて飲み歩いていた。一人で「最後の晩餐」をやっていたんだろう。その借金は私が完済した。

――その後、徹也さんはA子さんが住む家に戻ります。
 本意ではなかっただろう。自衛隊病院に入院していた徹也に会いに行った時、これからのことを話し合った。
私は、しばらくおふくろのところで暮らし、仕事を探すなり、勉強するなりして次のことを考えるのはどうかと提案した。それを聞いた徹也は喜んでなあ。

 ところが、うちの家族が了承しなかった。ええかげんにせいということだったんだろう。徹也に会って謝ろうと思ったんだが、会って伝えるのは私もつらかった。だから、手紙を書いた。「あの話はなかったことにしてくれ。申し訳ない」と。がっかりしたでしょうね。徹也と私は、それ以来会っていないんです。

野中 大樹(のなか だいき)Daiki Nonaka
東洋経済 記者
週刊誌記者を経て2018年、東洋経済新報社に入社。現在は統合編集部。

井艸 恵美(いぐさ えみ)Emi Igusa
東洋経済 記者
群馬県生まれ。上智大学大学院文学研究科修了。実用ムック編集などを経て、2018年に東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』編集部を経て2020年から調査報道部記者。