道草の記録

株主優待・ふるさと納税の返礼品・時々パチンコ

眞子さまと小室圭さんのご結婚は新皇室の危機 なぜ側近は皇族の恋愛リスクに鈍感だったのか

秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんのご結婚については、今なお国民のあいだでさまざまな議論が巻き起こっています。「文藝春秋」秋篠宮家の内実を報じてきました。ノンフィクション作家・保阪正康氏による「眞子さま百年の恋は新皇室の危機」(「文藝春秋」2019年6月号)を特別に全文公開します。(全2回の1回目/ 後編 へ続く)

 

(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)

 

◆ ◆ ◆

 

皇族の恋愛問題は起こるべくして起こった

 

 なんら解決の兆しが見えぬまま、とうとう元号を跨いでしまいました。秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭氏の結婚問題のことです。

 

 お二人の婚約内定が発表されたのは、2017年9月。赤坂東邸で行われた会見では、眞子さまが「太陽のような明るい笑顔」と小室氏を評すれば、小室氏が眞子さまに対して「月のように静かに見守ってくださる」と応えるなど、その場はお二人の将来を祝福する雰囲気に包まれていました。

 

 

 この時、恋愛結婚であることがお二人の口から語られました。国際基督教大学ICU)に通っていた2012年からお付き合いを始め、2013年12月に小室氏から、「将来結婚しましょう」との申し出があったというのです。

 

 お子様の自由意思を尊重する、秋篠宮家ならではのことと言われました。なぜなら、ご両親も皇室には、ほとんど例のない大学のサークルで育まれた、純粋な恋愛結婚だったからです。

 

帝国ホテルで結婚式が開かれる予定だった

 

 順調に行けば、2018年3月には納采の儀、11月には帝国ホテルで結婚式が開かれる予定でした。

 

 しかし、婚約内定会見のわずか3カ月後の2017年12月、状況は一変します。小室氏の母と元婚約者との間に、金銭トラブルがあったことが週刊誌で報じられたためでした。

 

 年が明けてからも、相次いで小室氏に関する様々な問題が明るみに出て、とうとう昨年2月、「色々なことを急ぎ過ぎていた」「充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切」との理由で(お二人の「お気持ち」宮内庁公表)、ご結婚の延期が発表されました。

 

 小室氏は後に、金銭トラブルについて代理人弁護士を通じ、「解決済みの事柄であると理解してきた」とする文書を公表しました。しかし元婚約者は納得しておらず、事態の収束は見通せない状況です。

 

秋篠宮家の親子関係にも影響が出始めている

 

 眞子さまの結婚問題が暗礁に乗り上げたことで、秋篠宮家の親子関係にも影響が出始めているといいます。

 

 昨年11月の誕生日前の会見で皇嗣殿下は、「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、私たちは婚約に当たる納采の儀を行うことはできません」と現状では結婚を認められないと語りました。

 

 ところが今度は、次女の佳子さまがICUを卒業するにあたって公表した文書で、「結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と眞子さまを応援するコメント(3月22日)を出したのです。

 

 あれほど仲睦まじくされていた父母と長女次女との間に、溝が生まれつつあることは、国民の目にも明らかになってきました。

 

 国民の間にも、様々な意見があります。「若い二人の好きなように認めてあげればいいのに」「皇室ではありえない」「一時金の支給をしないなら認めてもよい」などなど……議論百出。ここ最近の日本国民の最大の関心事の一つ、と言っても過言ではないでしょう。

 

悠仁さまが天皇に即位した後の皇室の状況を想像するべき

 

 これが一般の家庭のことであれば、他人が口を挟むことではありません。両親の反対があったとしても、現代日本の多くの家庭であれば二人は結婚していたでしょう。しかし、眞子さまは皇族です。ことはそう単純ではありません。

 

 大きな懸念の一つとなっているのは結婚が成立した場合、小室氏は皇位継承第2位である悠仁さまの義理の兄になるということです。悠仁さまが天皇に即位した後、彼は義兄として会って話ができる特権的立場になる。もちろんそのときには、現在の上皇陛下も天皇陛下悠仁さまの父、秋篠宮殿下もいらっしゃらない。国民は、そのときの皇室の状況をよくよく想像する必要があるでしょう。

 

 皇族の恋愛問題は、これまで日本人が言及するのを避けてきただけで、遅かれ早かれいずれ起こり得ることだったと私は考えています。というのも皇族の方々の恋愛は、皇室が国民の尊敬の対象として別格の存在であるがゆえに、ひとたび懸念が生じれば、大きな問題になることは避けられないからです。

 

 そして今回の眞子さまの問題で明らかになったのは、その問題を防ぐための仕組みが不十分だということでした。仮に眞子さまと小室氏の結婚に何らかの決着が付いたとしても、この構造的欠陥が放置されたままであれば、今後、似たような恋愛問題が再び起きることも十分あり得ます。

 

 そこで今回は、あまり語られてこなかった皇室と恋愛について考えてみたいと思います。

 

恋といえば結婚をしてからするもの

 

 日本の歴史上、天皇家に生まれた女性たちは、政争の対象として差し出される時代が長く続いてきました。力のある武家、あるいは貴族の家に降嫁されることで、天皇家の血筋を絶やさず藩屏となることを期待されたのです。そこに恋愛感情の入る余地などありませんでした。

 

 恋といえば、結婚をしてからするものであって、それも巡り合わせがよければという話です。

 

 明治天皇の后であった昭憲皇太后は年下の夫の身体を案じつつ、先頭に立って社会事業の振興に尽くされました。大正天皇の后である貞明皇后も病弱だった夫に代わり、元老や重臣たちと直接話しあうことがあったと言います。お二人は恋愛結婚とは縁がなかったわけですが、それは皇室に嫁いだものとしては当たり前のことでした。

 

 上皇上皇后両陛下のご結婚は「テニスコートの恋」と騒がれました。しかし当時の宇佐美毅宮内庁長官が国会で発言しているように、一般国民のように恋人としての交際期間があって結婚に至ったものではなく、お二人が自由に会う機会があったわけでもない。一般的な恋愛結婚とはかなりイメージの異なるものです。でもそれは大きな義務を負った皇太子(当時)としては当たり前のことなのです。

 

側近は皇族の恋愛リスクに鈍感であった

 

 女性皇族の“恋愛結婚”が最初にクローズアップされたのは、昭和天皇香淳皇后の第五皇女・清宮貴子さまの結婚のほうでした。

 

「おスタちゃん」の愛称で親しまれた彼女は、学習院大学在学中の1960年、銀行員であった旧薩摩藩主の一族・島津久永氏と結婚を発表します。婚約発表前に会見で、記者から好きなタイプを問われ、「私が選んだ人を見ていただきたい」と答えたことが話題になり、当時の流行語となりました。お見合いだったとはいえ交際期間は2カ月。「皇室も恋愛結婚の時代なのだ」と、多くの国民が認識したご結婚でした。

 

 島津貴子さんは恋愛結婚や自由の象徴として若者から人気を集め、社会現象を巻き起こしました。新婚旅行で宮崎県を訪れたことで、同県は観光地として有名になり、また結婚後も二人の新居に野次馬が詰めかけるほどのブームとなったのです。その後も、民間企業へ就職したり、大阪万博中継番組で司会をしたりと、彼女は話題を振りまき続け、メディアもその姿を追いかけました。

 

 おスタちゃんブーム以降、恋愛結婚が話題になったのは秋篠宮殿下と紀子さまのご結婚だけです。天皇陛下雅子さま黒田清子さん、高円宮家の女王さま方のご結婚もありましたが、いわゆる恋愛結婚ではありませんでした。

 

 眞子さまと小室氏の結婚は、島津貴子さん以来、およそ60年ぶりの女性皇族の恋愛結婚となるはずだったわけです。それゆえ大きな注目を集めたわけですが、国民のほうも、そして宮内庁の側近たちも、皇族の恋愛リスクには鈍感であったと言えるのではないでしょうか。

 

恋愛によって王室が危機に陥った前例

 

 海外に目を向けてみると、イギリス王室では、20世紀の間にも王族の恋愛によって王室が危機に陥ることが何度かありました。

 

 有名なのは、エリザベス女王の伯父にあたるエドワード八世と米国人女性シンプソン夫人の「王冠をかけた恋」です。国王は人妻であるシンプソン夫人と恋愛の末に王冠を投げ出し、在位はわずか1936年の1年だけで終わりました。当時は英国王室を揺るがす大スキャンダルだったわけですが、今回の眞子さまの問題を考えるうえで参考になるのは、その19年後に再び王室を揺るがすことになるエリザベス女王の妹マーガレット・ローズ王女の恋愛問題のほうです。

 

 マーガレット王女は、エドワード八世の後を継いだ父ジョージ六世の侍従武官だったピーター・W・タウンゼント大佐と恋仲になり結婚を考えるようになりました。しかし大佐は16歳年上で離婚歴もあったため、政府首脳と王族たちは二人の結婚に猛反対します。すでに即位していたエリザベス女王もあきらめるよう促しましたが、マーガレットは抵抗します。

 

個人の恋愛か王族の義務か

 

 そこで政府は、もし結婚するのであれば、王位継承権に加え、王族としての年金受給権も剥奪すると宣告したのです。

 

 マーガレット王女は結婚を諦め、宮殿でタウンゼント大佐に別れを告げます。国民に対してはBBCを通じて、「ピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」と声明文を発表しました。

 

 王女は次のようにも述べています。

 

「私の権利の放棄を条件に、民事婚で結婚することができるかとも考えました。しかしキリスト教徒の結婚は永遠であるという教会の教えに鑑み、また、我が国に対する私の義務を自覚し、他の何にも代えてこうしたことを優先することにしました」

 

 マーガレット王女はこのとき25歳。個人の恋愛よりも王族としての義務を優先させたのです。

 

( 後編 に続く)